史跡廻国記
京都史跡記(三)
大阪史跡記(一)
兵庫史跡記(一)
撮影地:高槻市大手町2-43/関連リンク:本行寺
藤井竹外、名(諱)は「吉郎」または「啓」、号には「竹外」・「雨香」などある。文化四年(1807年)、永井家高槻藩三万六千石としては格式中堅クラスにはいるらしい、家禄五十石の武家藤井沢右衛門家の長男に生まれ、藩職としては鉄砲奉行をつとめたが、旅や詩酒にひたる日々がおおく、奇行をもってしられる。
はやく京都の頼山陽にまなび、とくに詩名は門下随一を称され「絶句竹外」と讃えられたことは先述。代表作としてはさき引用の七言絶句「芳野」のほか、「花井」・「花朝下澱江」などがあるとのこと。
写真左側の自然石が竹外の墓にあたり、慶応二年(1866年)京都にて没。はじめ高槻市内北方の乾性寺に葬られたが、没後六十年のおりに分墓をここ本行寺に建立。京都長楽寺頼山陽墓所そばにある「竹外酔士墓」とあわせ、計三基の墓をもつことになる。
(平成某年某月某日識)