史跡廻国記
京都史跡記(三)
大阪史跡記(一)
兵庫史跡記(一)
撮影地:大阪府高槻市真上町1-28あたり
我が国では限定的な普及にとどまったとみえる漢土渡来の"墓誌"という文化。その現存する奈良時代の例として貴重なのが、いま国宝にも指定されている石川年足墓誌「金銅石川年足墓誌附木櫃残欠銅釘付一括」。その発見地が高槻市真上町〜月見町あたりの丘陵部(摂津国嶋上郡白髪郷酒垂山)である。
旅行まえ、たまたま石川年足(奈良時代における蘇我氏の嫡流で位は正三位にいたり、藤原仲麻呂政権で活躍。『万葉集』には孝謙朝新嘗祭における応詔歌が一首だけ載る)について書かれた論文を木本好信氏『奈良時代の藤原氏と諸氏族』で読んだばかりだった当方としては、足のむくままに同地区を訪問。場所を探すのに気を取られすぎたおかげで、上宮天満宮(式内社)や霊松寺(著名人の墓地)にはたちよるのを忘れました。
私のさがしたかぎり、周辺には史跡案内も見つけられなかったので、正確な墓所位置については結局不詳。「墓誌の発見が文政三年(1820年)のことだから、精微な調査資料なんて高望みだろうし、もう詳細自体わからなくなっているのかも知れないなぁ」と考えて退く。
当方一人、知らないのなら滑稽。
万葉集収載歌:「天尓波母 五百都綱波布 万代尓 国所知牟等 五百都都奈波布」
(天にはも 五百つ綱はふ 万代に 国しらさむと 五百つつなはふ)
(平成某年某月某日識)