か行
其之一
このうちより武市氏のこと承りおよび候ところ、はじめて面会。健なる人物と相見え、武術師範のよし
よく西郷吉之助に似たり。真に君子なり
これ武市半平太の揮毫に係るもの。前日、長藩の時山直八を訪う、席上武市梅花を描く、僕一見嗟賞措かず、懇請して此の二書幅の贈を得たり、其の書清高、其の人の如し
樺山三円
この節[安政五年四月]弟子どもおよそ百余人もこれあり、かつ他弟子なども十ニ人、稽古所へ出席いたすところ自他の差別なく懇ろに相導き候趣き相聞こえ奇特のいたり
監察役場
武市と申す人は当世の人傑にて、日々他藩有志の者参り申し候
観音寺智隆
武市は一剣客、何をか知らんや
武市半平太以下の人々においても今もって寛典の御処置もこれなく、私どもまでも何とも恐縮至極にござ候。右人々およばずながらも尊攘の大義に基づき国家の御為ご尽力つかまつり者とは相見え申すべく、既にこれまで時勢に相応じ御用をも仰せ付け置居られ候者にござ候あいだ、なおその情実、邪正の分、よくよく御明弁おおせつけられ断然の非常寛大なる御処置仰せでられたく、左無くては右など有志の者、今日に至り上より重々ご疾悪の姿と申ようにありなり、自然にさし響き申すべくと存じ奉り候
清岡道之助・同治之助
土佐の武市半平太は真に国士の風あり
当世第一の人物、西郷吉之助の上にあり
その熱誠、西郷の上にあり
久坂玄瑞
武市半平太というものがある。もと郷士だが、すこぶる有志だという評判で、それが尊王攘夷説を固執して若いものを鼓舞していた
瑞山先生も殺したのは誠にあやまりであった
後藤象二郎
(平成某年某月某日識)