坂本龍馬
龍馬の脱藩を評し
「龍馬は土佐の国にあまる奴なれば広い処へ追い放ちたり」
半平太が龍馬に付けたあだ名
「坂本の法螺」
岡田以蔵
目付の詮議に答え
「[島村]衛吉・[岡田]以蔵の両人の性は違うなり。衛吉は周密、以蔵は粗暴なり。衛吉なれば半平太に[斬奸の是非を]相談すれども以蔵は相談せず」
岡田以蔵の入獄を評し
「あのような阿呆は早く死んでくればよけれど、あまあま御国へ戻り、誠に言いようもなき奴。さぞやさぞや親が嘆くろうと思い候」
「以蔵の面の皮の厚きこと[中略]実にあんまりな奴にて候」
目付の詮議に答え
「以蔵は若年の時より世話いたし候者なれど、とかく心行不正にて度々義絶のこと思えど親より度々頼まれ候ゆえ、唯々親を気の毒に存じ、そのままにておりしなり。しかるに本間[精一郎暗殺]の事、その時分にいたりては最早さっぱり見捨ておりしなり」
「以蔵がいうに私の指図にて[本間精一郎]を斬ったというておりますげな。まずまずこの事が[詮議にあたり]重荷でござ候。誠に誠に困った奴にて候」
「以蔵の阿呆が一昨日、さ一昨日と続けて[詮議に]出申し候。またまた何か大ウソを言うと見え申し候」
乾退助からの訊問に答え
「以蔵は不義第一の大虚言の者」
当時入獄中だった婦人某が拷問にかけられても黙り込んでいた事と比較して
「誠に婦人にても声を出さんこと思えば、以蔵がような者は誠に日本一の泣きみそと思い候」
「一昨日[慶応元年五月三日]は森田[金三郎]、岡本[次郎]と阿呆[岡田以蔵]とが三人[詮議の場に]出ており申し候」
「以蔵[ここは書簡破損のためあくまで推定]の事、さっぱり耳に入れまじく候。今さら申すまでもなく候えども、誠に犬猫にも劣りし奴にて、このような畜生にも劣りし者のことを聞くは耳の穢れとなり候まま、さっぱり聞かぬがよく候」
「以蔵の面の皮の厚きことは、さきに佐蔵が外へ出候ところ『先生によろしうに良いてくれえ』と言いつけ候由。誠に誠に誠に誠にあきれ候。牢番などが聞きても誠にあんな奴が言付けなどしては誠に誠に悪うてたまらん。実にあまり事な奴にて候」
岡田啓吉
「またまた啓吉、[半平太宅へ]見舞いに参り候よし。誠に無心なことにて候。以蔵の[自白などの]事も詳しく知るまい。相かわらず柳に風でおるのが宜しく候」
島村衛吉
目付の詮議に答え
「[島村]衛吉・[岡田]以蔵の両人の性は違うなり。衛吉は周密、以蔵は粗暴なり。衛吉なれば半平太に[斬奸の是非を]相談すれども以蔵は相談せず」
目付の詮議に答え
「[島村]寿之助・衛吉など私の信友にて」
衛吉の拷問死を評し
「私より先へ浪[浪穂、衛吉の匿名]が殺されうとは、誠に誠に存じがけもなき事にて、私も只々一日も早く〆殺され浪と同道致したく、頻りに存じ候事にござ候」
「衛吉など、我が君の為、大君の為、日本の為にいろいろ苦心して死に候こそ武士の鏡ともなり候事にて、昔より武士は名を惜しむとこそ言うなり」
「衛吉が[亡くなって]」はや五十日のよし。誠に誠にはやきものにて、またまた思い出し、いかにもいかにも酷き残念な事にて候」
間崎哲馬・平井収二郎・弘瀬健太
「平井[収二郎]・間崎[哲馬]・弘瀬[健太]の三士は憂国の者」
門田為之助
「誠に門為[門田為之助]などは誰が見ても[土佐の勤王派でも]頭立候者」
島村寿之助
「[島村]寿之助・[島村]衛吉など私の信友にて」
樋口真吉
「樋真[樋口真吉]のこと、盟はせねど同志ゆえ[その旨を目付に]言いたり。[中略]元からの同志ゆえ思わず言い申し候」
清岡道之助
野根山屯集事件を評し
「東の騒動[野根山屯集事件]も数々御人数参り候よし。如何なることぞ、誠に誠に怪しからぬこと。あのような下らん事をする人があると御上からは千羽一括りに見て、口喧しく言う者は皆々あのような者と思い、正義の人の迷惑に相成り候と存じ申し候。御上から良き者は良き者、悪き者は悪き者とよくよく御取り分けがなくてはならんと存じ候」
清岡道之助斬首の報を評し
「東の清道[清岡道之助]などのことも詳しく聞きたり。これも寛大の御処置仰せ付けられたという。首を斬るが寛大じゃげな。激しきことなり。嘆くべく、嘆くべく」
那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助
「京師にて高屋友右衛門へ『三人の者[那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助]は南海の豪傑というにつき、あれは御召し帰しありたく』と[半平太が]申し出候よし」
乾退助
(平成某年某月某日識)