山内容堂
「誠にしみじみ御談話拝承つかまつり候ところ、一も御論の違い候ことござ無く候。恐れながら御同志にて候」
「御隠居[山内容堂]さまの御殿が九反田[地名]へ建つげなのう。御隠居さまの思し召しは如何と唯々気づかい申し候。あれほどの御方さまゆえ悪き事は有るまじく思い候えども、御国の人が皆々一途になるようにならぬば戦はできん。御殿など九反田に建とうが、ドコへ建とうがよく候。たかが二十四万石の御隠居さまゆえ、どうもならねば家も建てるはよけれど御政事がよくなりて下々の者も御国の御為には死なねばならぬと言うようにならんと、どうもならぬ事なり」
「御隠居さま・[山内]秀馬さま方、毎日々々お遊びのよし、如何なる事ぞと思い候」
「同盟[土佐勤王党]のことは老公[山内容堂]の御口外ありしなり。恐れ入ったこと[中略]何分にも上より[御国を]御乱しなり」
「思いに堪えぬことは御隠居さまの御行跡、今も上番の話を聞けば大守[山内豊範]さまはいよいよ一六日[慶応元年五月説と元治元年七月説あり]御発駕、それにつき諸役所もドンチャンカやる。その中にて御隠居さまは、よき舟にて須崎[地名]へ御出でにてカツオなど御釣らせ、それより佐川[地名]へ御出で、それより御帰りにて浦戸[地名]にて御逗留と申すこと。この御入目が五十貫と申すこと、恐れ多くも今は一天の御君さまの御宸襟お悩み、かつ太守さまにも今度の御上京御苦心あそばされ候御中にて、如何なる思し召しぞと唯々あきれ候。一人も御諌め申す人もなきことかと誠に誠に嘆きてもあまりのあることにて候」
「さてさて御国も次第々々地に落ち、御隠居さまへ梅を市、かつら市などはや二度出候よし。また友次卯七郎など言う者でるとか言うこと。またお釣これ有り候よし、御婦人が皆々赤の呉呂服の帯を揃えていたげな。御隠居さまはあとから御馬で御出であったげな。これは見た人の話にて候。また五日[元治元年九月か]には御隠居さまの御屋敷の前へ土俵をつきすもがあるげな、木戸とも打つげな。さてまた芝居を下の町人願っておるげな、これも飽きそうなと言うこと、誠に誠に相撲はまだ随分ええが浄瑠璃は御法度。それを御上に遊ばしてはもうもう世も末になりました」
「何分、御隠居様にも我等を御にくみのようにおもわれ候」
山内豊範
「この頃の目付のところのつまらん事は何とも何とも何とも言いようも無く、思うても思うても太守さまが御むしんな事にて候。一つこの上番より内々話を聞き候えば、このあいだ太守さまが御隠居[山内容堂]さま御屋敷へ御出でにて『今、揚がり屋に入りてある者は皆々忠信の者ゆえ、もう出してやろうか』と御意遊ばされ候ところ、御隠居さまが大叱りにて『怪しからぬこと、あれは皆々不忠者、大悪人』と御意遊ばされ、大叱られにて、それより少将[山内豊資]さま御屋敷へ御出でにて御泣き遊ばされ候よし、誠のように承り候。げにもげにも[とてもとても]御むしんなことにて、このような話を聞きては例えウソにても涙がこぼれ申し候」
山内民部
「民部様御事、御病気御全快のよし。色々有難く有難く有難く、この御方御全快は誠に誠に御国の御為と存じ候」
「吉田元吉[東洋]暗殺のことは根元、公子大臣[山内兵之助・山内民部・山内下総・深尾鼎など]の下知にてやむを得ずの御権道のことにて、公子[山内民部]の思し召しはこのこと露顕し一人にても死することに至りたれば、身も一番に出て死すとの御居りにて誠に有り難いこと限りなし」
山内民部より御守を贈られ
「民部さま、誠に誠に有り難くとも何とも申しようござなく、ただただ涙へ沈み申し候。このような有り難い殿様はござなくと朝夕思い候」
「[獄中闘争も]最早、如何とも相成らぬことにいたり申し候。ただ今一統、首の除くを待つばかりに至り、かねて覚悟とは申しながらエタの手[斬首]に掛かること、いかにも歎かわしき事にござ候。[中略]公子様大臣の身に係わり、ついてはきっと役に立つもの数十人死すこと実に今日の形勢残念千万ござ候。この上は他に致し方これなく、民[山内民部]公子さまへ嘆願して大老公[山内豊資]さまへ願い、大臣はじめ数百人の一命を助け置き候こと、民公子さまの御身にかけ御頼み遊ばされ候て、実は大老公さまの内命と相成り死罪など致さず格別寛大に致し候よう、大老公さまの御意より他に治まる道これなく、これは大臣より数十人のことゆえに終に国の安危に係わり候ほどの事に候えば、民公子よくよく合点あそばされ大老公さまへ嘆願の事、出来申しまじくや。[中略]民公子さまにも憂国の思し召しあらせられ候えば是くらいのことは出来そうな物と相考え候につき、一応申し述べ候」
吉田東洋
吉田東洋の暗殺を訴える同志ら制し
「吉田元吉[東洋]はとにかく土佐の一人物なり。況わんや、容堂老公の鑑識を得て現に一般の要職にあり、暴力をもって之を斃すは忠君の道にあらず」
「吉田[東洋]の国賊を斬りしとて御国のためならば、難しきことは少しもなし」
「もともと武市半平太は吉田元吉を暗殺しようとは、少しも考えていなかった。[中略]過激な壮士は何でも土佐勤王党の血祭に彼の首を刎ねよと息まいた。『まぁ、まぁ』半平太は、それをおさえていた。[中略]『諸君は一途にそういうが、吉田元吉は兎も角、我が藩の一人物である。まして君公のお目がねにかなって、参政にお取り立てになったのである。それをば暴力をもって倒すのは、忠君の道に背いている。拙者はそういう事には賛成できない』忠君を楯にして血気にはやる壮士をなだめていた」
田中顕助
小南五郎右衛門
「この人[小南五郎右衛門]は他国に名あり、薩人より度々如何くらしおる哉と尋ねられたり」
目付から小南との交友を問われ
「小南は江戸より帰り二、三度訪ねたくらいにてその後、京都へ出は度々参り心やすくなりしなり」
平井善之丞
目付の平井善之丞について「かねて知りたる人か」との問に答え
「知らず。大石弥太郎などより常々真に憂国の人という事はかねて聞き居りたり」
目付の詮議に答え
「江戸にて元敬[大石弥太郎]より聞き、世に君子と呼ぶ人物にて斯程の大事は耳に入れたく思うに付き、道の側ゆえ一寸立ち寄り話しおけとの事にてありし」
目付の詮議に答え
「平井は江戸より帰りがけ立ち寄り話をしたり。これは愛国の人と聞きしゆえなり」
武藤小藤太(?)・荻野某
物価の高沸を聞き
「武藤[小藤太]おぎの[荻野某]まだ御差配もなく困り入り候。武藤は誠に貧乏にて、そのうえ継母にて気の毒に思い候」
「武藤は子供の様子で酒が大好きにて取り寄せ候ところ、武藤と萩野とへは酒は御差し上げにならんと言いて参り、誠に誠に気の毒に候ゆえ内から持って来る酒を飲ませてやり申し候」
後藤象二郎
半平太らが後藤に付けた符丁
「良奸[旧称「良輔」から「良」の字と奸物の「奸」の字をあわせ]」
「奸色顕わる」
「高師直[鎌倉室町期の武将『仮名手本忠臣蔵』の悪役]」
「良奸また出で候由、実に大変々々」
「奸物之尤奸たることは師直」
野中太内
「シマツ[しわがれ声の意]」
野中の詮議を評し
「甚だ都合よく誠に上手く言うなり。奴[野中太内]が言うように得書き尽くせず[「筆舌に尽くせず」との意]。[中略]実に言語同断の語なり、嗚呼甚だし。[中略]目付の意、畏るべく畏るべく、憎むべし」
野中の詮議を評し
「口合、松村善平[土佐の人でこのころ発狂して死亡、「発狂者」との意か]に似る。笑うべく笑うべく」
野中と真辺栄三郎の関係について
「推察するに何分シマツと真栄[真辺栄三郎]と実は腹が合わぬなり」
真辺栄三郎
真辺栄三郎の詮議を評し
「真栄[真辺栄三郎]、頗る口不調法なりに堪らん堪らん。[中略]元と真栄の時に『御互い斯様あいなり候ことゆえ、罪なければ自分の落度ゆえ』と独り疑を決しておるように言うなり、中々中々」
野中太内と真辺栄三郎の関係について
「推察するに何分シマツ[野中太内]と真栄と実は腹が合わぬなり」
(平成某年某月某日識)