伊藤礼平
「同宿のクソ虫[伊藤礼平のあだ名]もいまだに御差配[判決]もなく誠に困り入り申し候。[中略]今日は御差配があろうと思うておった所が、誠に誠に阿呆の奴ゆえ、また下らん事をいいたげな。[中略]誠に誠にこの人には困り入り申し候。しかし、この人はそのように長い事はあるまいと思い候。私がええ事は、はや三度髪をいかし[結かし]申し候。頭の月代の中をつんでもらい、それから洗い、自分の手を汚さずに是のみは宜しく候。ああ、可笑しや可笑しや」
「クソ虫も御差配もなし、ただ毎日々々阿呆をいい、やかましくてコレには困り入り申し候。チト東水[拙歌]をいおうと思うても喧しくて出来申さず候」
「クソ虫もまだに居り、これには困り入り申し候。一緒に居るだけわるく相成り申し候」
「クソ虫もまだ御差配なく困り入り申し候。[中略]誠にクソ虫には困り申し候えど私の髪はクソ[伊藤礼平]が入って[以来]自分には結い申さず。こればかりはよく候。これは家内不熟[不出来]ゆえ、金を持っておって下番に買いにやり申し候。気の毒な事にて候」
「此の人はこの間出た日も吟味これあり[中略]何かも言ってしまう男にてウソは言わんような人なり。ただ世話して『もうで[揉んで]やろうか』、『髪を結うてやろうか』と言いて身を寄せて来て『誠にお前[半平太]とまっと[もっと]一緒に居ったれば、よき事を覚えてワシ[伊藤礼平]も人が上がる』と言って堪らん、可笑しや可笑しや。明日は奴に月代を摘んで貰うつもりにてござ候」
「クソ虫はもう近々の内には御差配があるろうと思い候。[中略]クソは牢へ入って五遍詮議に出申し候。もうもう近々のうちは間違いないと思い候。もうもうクソには困り入り申し候」
「クソが[獄舎から]出て誠に誠にゆるやかにて心地よく暮らし候」
「同宿のクソ虫、高知城下江ノ口小川淵に伊藤礼平といえる士あり。痴情の事にて入牢し瑞山[半平太]と同牢となる。性情弱にて何の取得もなき人物なり。瑞山、戯れに『クソ虫』といえり。格別悪みていえるにはあらず、当今の時勢に『箇様の行をなすものは武士にてはなきぞ、人間にてはなきぞクソ虫ぞ』とて同士の激励するためにいいしなり。然るにこのクソ虫、好人物にて同牢中は瑞山のために髪を結い親切に瑞山を慰めなどしたりとなり(右、瑞山の未亡人[武市富]の談による)」
岩崎英重 補注
萩原醒庵
獄舎へ診察に来た萩原醒庵の態度を評し
「静坊[萩原醒庵]来り、自慢甚敷」
「さて医者のこと御申越、誠にそとのとおりにて萩原は実は気に入り申さず。されどもすぐに代えるも都合悪しきことゆえ、少し見合わせ、そのうえにて入交[道磧]に代え申すべく候。[島村]衛吉なども萩原は『どうぞ代ええ』と頻りに申し候」
「萩原はもうもう滅り込み[困り入り]申し候」
「一昨日[慶応元年三月一八日]はようよう阿呆医者[萩原醒庵]をやめ、誠に誠にくつろぎ申し候」
久坂玄瑞
「久坂等の挙動を視るに、其の師松陰と戊午の難に殉ぜざりしを憾みて、輙もすれば死所を求むるに急なるが如し、或は師の復讐として閣老を殺さんも知れず」
「彼地[江戸]に修行中、大石弥太郎より聞き候ところ、長州すこぶる正義相唱え、かつ玄瑞など言う者、国家の為おおいに尽力の趣きなど承り[中略]耳を立て長薩の勢承り合わせ候ところ、いよいよ[薩摩と長州が]御同腹にて大いに尽力あらせられる趣き、かつ玄瑞などは慷概あい極まり既に和宮さま御東下を差し留めると申すほどの儀もあり」
毛利敬親
「誠に不義の富貴は浮える雲にて[中略]今濁りし世の中ゆえ濁りし人が富貴となる。はやまた世の中が清ればどうであろう。上は三条中納言さまより長州[毛利家]さま[中略]など始め、天下おしなべて今罪にあう人は忠義の人ばかり。茲許などもその数に入りしと思えばまた憂さも散じ候」
渡辺金三郎・大河原重蔵・森孫六・上田助之丞
目付の詮議に答え
「石部[石部宿斬奸]の事は彼の同心とかの奸は兼て高名にて、諸藩愛国の人はいずれも『彼は除かずては宜しからず』といずれも申しおり候ことなり」
本間精一郎
「彼〔本間〕は弁舌の雄なりと聞く、必ず百方、公〔河野万寿弥・上田楠次〕らを激して脱藩を促すべし。公ら徹頭徹尾、一藩勤王の時を期して正々堂々、亰師に入朝すべきを主張し彼が虚喝に誑かさるることなかれ」
目付の詮議に答え
「本間は諸藩の離間をなし、また公武の間をも乱す大の奸物とは諸藩人のいうことを聞きしなり」
姉小路公知
初対面の印象
「頗る弁論のある御方なり」
「国のため、君のために命を捨てることは武士の真の道にて、このよう忠臣の人の悪者に殺されることは昔よりためしの多きこと。また三条[実美]さまや姉小路さま方、水戸の御家老の武田[耕雲斎]などのこと、おもえば何でもなきことにて候」
結城筑後守
初対面の印象
「実と見ゆる男なり」
三条実美
「三条さま方の御歌を拝し、唯々なみだに沈み候。これも世間の人はそれほどにも有るが、私どもは別して御懇命を頂き候ことゆえ、御歌など拝すと御顔を拝むようにてござ候」
「誠に不義の富貴は浮える雲にて[中略]今濁りし世の中ゆえ濁りし人が富貴となる。はやまた世の中が清ればどうであろう。上は三条中納言さま[中略]など始め天下おしなべて今罪にあう人は忠義の人ばかり。茲許などもその数に入りしと思えばまた憂さも散じ候」
「国のため、君のために命を捨てることは武士の真の道にて、このよう忠臣の人の悪者に殺されることは昔よりためしの多きこと。また三条さまや姉小路[公知]さま方、水戸の御家老の武田[耕雲斎]などのこと、おもえば何でもなきことにて候」
岩倉具視
岩倉具視の洛飾処分を評して
「武市などは、まだこれだけでは満足しなかった。『朝廷の御処置が寛大過ぎる。遠島を仰せ付けられるがよろしい』そういうので、三条[実美]・正親町[三条実愛]・その他の公家の間を奔走した」
田中顕助
(平成某年某月某日識)