弘田玄佑
「弘田という、おかしげな医者参り、[診察で]仰山に申し候」
王子の医師某
「王子[目付が寄越した指定医、王子は(現在の高知市西秦泉寺王子あたりの)地名かと思われる]も今日[慶応元年(1865年)三月二八日]吉吾[牢番の名前か]に話を聞けば随分良き医者にて、相応に流行るという事にて候」
「王子の着物、肌着の襟を見候ところ、垢は丑[半平太の従僕丑五郎の意か]ようになり、それが破れて切れており候。これにてヤブ医はしれると思い、おかしく候。されども王子にかかり、さして良うもならざれども、また悪うもならず候ゆえ、まずまず代えぬつもりにて候」
中島作太郎
「この書き付けは去年、西の中島作次という人の出奔をする時に書き置きの由。誠にわずか十九位にて、この位のことを書き、この考えは感心にて候ゆえ、一寸写し候。[小笠原]保馬にでも読ませ。[中略]これまでは偉い人は水戸辺ばかりにあるかと思いおり候ところ、御国にもこのような人、たんとあり候に御上の治め方が悪きゆえ、誠に誠に残念なことにて候」
(平成某年某月某日識)