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さ行

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英傑篇(武市半平太)

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武市半平太

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英傑篇 さ行 其之一


  • 武市小楯は慶応元年五二一日賜死。武市は勇気平素に増し、笑を含み短刀を持ち、腹を屠り腸をつかみ出し官吏に向い是でよしかと問い、笑含みて死に入る。[中略]武市小楯、通称は半平太、瑞山また吹山と号す、家世土佐山内家に仕う。人なり、顔色蒼白、状貌雄偉なり。性沈深寡黙にして喜怒色にあらわれず。頗る撃剣の術に長じ、傍ら書史に渉り兼ねて書を善くす。[中略]その死するに及び人皆、悼惜せざるものなし
  • 小楯、幼より武芸を好み江戸に遊び、剣客千葉周作の門に入り其の技大いに進む。かつ四方の士に交わるをもって広く時世の事に通じ、頻りに心を勤王に傾けたり。当時、高知藩に勤王の議を唱うるもの少なかりしが小楯の帰りしより後、進んで子弟、靡然として響きの如くに応じ、また同時に坂本龍馬ありて出たり。これ故に同藩、士気ますます振作せり。小楯、深沈寡黙、頗る風采に富み挙止、人を服せしむるに足る

酒泉彦太郎

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  • [半平太は]他邦よりは深く人望を得候
  • [三条実美勅使らの下向を評し]武市らの尽力にて将軍家より朝廷へ対し奉り、臣下の礼を重んじ[中略][欠字などの]文例は廃せられ候よし、愉快
  • 武市は至誠方直の剣客で門下も相応にあり、その声名は下士中に厳然頭角をあらわしておったものだから、平生その志操を慕うものは密かに来たって[土佐勤王党の]盟約に血盟したそうだ
  • 武市は誠実一図の人であるから浪士風の詭激なことはいわぬ。自分等も大体においては武市と同感ではあるが我々[士格勤王派]は藩公との関係が武市と違うから悉く賛成することはできぬ。もっとも武市の論は至極温和な正々堂々たるものであるが、その輩下の者はおもに軽格の壮士が多いので随分危険である
  • 武市という男はごく渋い男で、痩せてはおらぬが背の高い方で、顔が細長く、眼光人を射るというような、所謂丈夫らしい人物であった。いっこう笑うことをしない。親しく話してみるととそうでもないが、俗人からはいかにも憎体な人であった
  • 武市は学問も和漢をかね、剣術は中々上手であった
  • 武市は一刀流の剣客で、郷士以下の門弟は数百人あるけれども士格中には其の説に賛成する者は殆どない位
  • 武市はああいう誠実な方であるから『マアマア』というて[吉田東洋暗殺推進派を]制していた
  • 武市は謹直の人物であるから手をつくして温和手段をとるようにした
  • 武市はああいう着実の男であったから、血気の勇の大事を成すべからざるところにを論じて[久坂玄瑞らの外国公使刺殺計画の]中止を勧告した
  • 武市はどこまでも真面目の男で、上京中門下の激徒数百人は長州に脱走をすすめ、久坂玄瑞などもこれを諷したが応じない。『諸君は水長二藩に投じて、大いになさんとするならそれでも宜しい。予は国に帰って鞠躬尽力。老公を諌め藩庁に説いて、倒れてのち止む決心である。何の面目あって他藩の食客となろうぞ』と。いずれもその精神に感動したそうだ
  • 武市は郷士以下の棟梁であるが地位が低い。いったい武市は剣術の達人で郷士以下に門弟が多い。従ってその階級には非常の勢力をもっている
  • 至誠鬼神を泣かしむるというのは、まずこういう人であろうと思った

佐々木三四郎

佐々木三四郎

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  • 少壮剣を好み、歌を詠し、書を能くす。資性英邁骨相雄偉、時人目して海南の墨龍と呼ぶ。[中略]時に一藩志士の領袖として、各藩有志に重せられ倶に他日に期待する所あり

殉難録稿

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(平成某年某月某日識)

  • さ行 其之一

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