剣客、航海学の志あり
香川敬三
小曽根にいたころ坂本龍馬が『お嬢さん、お嬢さん』とよく抱いてくれました。龍馬は首をふるくせがあり、胸毛が濃かった
勝逸子
坂本龍馬が曽ておれに『先生は屡々、西郷[隆盛]の人物を称せられるから、拙者も行て会って来るにより、添書をくれ』といったから早速書いてやったが、その後、坂本が薩摩[藩邸]から帰って来て云うには『成程、西郷という奴は、わからぬ奴だ。少し叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で利口なら大きな利口だろう』といったが坂本も中々鑑識のある奴だよ
[龍馬の西郷評を聞き]評する人も評する人、評さるる人も評さるる人
[龍馬の西郷評を聞き]余、深く此言に感じ実に知言となせり。およそ人を見るの標準は自家の識慮に在り。[龍馬]氏が西郷を評するの語。もってて氏が人物を知るに足らん。氏が一世の事業の如きは既に世の伝承する所、今敢えて賞せず
爾来氏、意を海軍に致す寧日なし
土州では坂本と岩崎弥太郎、熊本では横井[小楠]と元田[永采]だろう。坂本龍馬、彼れはオレを殺しに来た奴だが、なかなかの人物さ。その時オレは笑って受けたが沈着いて、なんとなく冒しがたい威権があってよい男だったよ
後藤[象二郎]は大名の塩辛にしたようなものだと言ってやるのさ。少しも尻のつかぬ男だ。土佐では坂本龍馬と岩崎弥太郎の二人だった
[土佐が大政奉還を建白したのは『大勢を洞察した卓見か、ただその場の小策に出たためか」との問に]あれは坂本がいたからのことだ。しかし、土佐はいつも筒井順慶で伏見の時も、全くの日和見をしていた
[薩長同盟締結の報にふれ]聞く薩、長と結びたりと云。事実成る歟。[中略]又聞く坂龍[坂本龍馬]、今長に行きて是等の扱を成す歟と。左も可有と思はる
勝海舟
[龍馬の寺田屋遭難を聞き]大兄[龍馬]伏見の御災難ちょっと最早承り候ときは、骨も冷たく相成り、驚き入り候処、弥御無難の様子、巨細承知仕り、不堪雀躍候。大兄は御心の公明と御量の寛大とに御任せなられ候てとかく御用捨これなき方に御座候えども、狐狸の世界か犲狼の世間か、さらに相分からぬ世の中に付、すこしく天日の光り相見え候までは、必ず必ず何事も御用心
木戸孝允
[龍馬暗殺を伝え]誠に御同悠残念至極、難尽筆上[中略]実に残念至極この事に候
熊野直介
(平成某年某月某日識)