ま行
其之一
坂本龍馬は土州藩なり。すこぶる勤王家にして国家のため尽力せし人なり
坂本龍馬氏は土州藩士にして国事の為に日夜奔走して頗る尽力せしは衆庶の知る所なり
土州藩(高知県)に坂本龍馬・岡本健三郎という士あり。随分鎖攘を唱え暴論巨魁の一部分なり。右両人、江戸へ下り(余が総裁職の時分)『徳川家には勝麟太郎、熊本にては横井平四郎の両人は頗る姦侫にして勝は専ら開港論を主張し、横井は廃帝論を起すなど実に可悪なり』と大いに両人怒り、これが為に坂本・岡本の両氏は態々江戸へ下り勝・横井を殺害せんとの目的なりとかいう。[中略]この事は真偽は知らざれども或人より聞くがままに記しおきぬ
[龍馬の死に対し]驚愕痛悼に堪えず
松平春嶽
[龍馬・中岡慎太郎暗殺を伝え]嗚呼、可惜々々
真辺栄三郎
坂本さんはサイサイ使いなどに行きてよく見覚えたり。姿勢あしく肩を斜に傾けタホウで行く様に見えたり
三宅謙四郎妻女
龍馬、[中略]伊藤九三方を寄留処と定め妾を同家に留めて、密かに東西に奔走し時勢を慮り国事を勤む。[中略]長防の国難を解き君民勤王の素志を遂げしめんことを図る。藩主これを嘉して短刀を恵贈し且つ臨時の費用を扶くることあり。その海援隊を長崎に組織するに当たりては有志等往て懇諭を受るものありし
[『坂本の人となりは過激の方なるや』との問に]過激なることは毫も無し。かつ声高に事を論ずる様のこともなく、至極おとなしき人なり。容貌を一見すれば豪気に見受けらるるも万事温和に事を処する人なり。但し胆力は極めて大なり
三吉慎蔵
龍馬あらば、今の薩長人など青菜に塩だね。維新前、新政府の役割を定めたる際、龍馬は世界の海援隊云々と言えり。此の時、龍馬は西郷より一層大人物のように思われき
土佐藩に坂本龍馬という人あり。元来剣客なれども其為人に周儻して大略あり、当時専ら国事に奔走し居たり
余が旧友に土佐人坂本龍馬と云ふ者あり。其人元来剣客にして文学を悟らず、然れども其質聡明にして其識見も亦時輩に秀出せり
坂本は近世史上の一大傑物にして、その融通変化の才に富める、その識見、議論の高き、その他人を遊説、感得するの能に富める、同時の人、能く彼の右に出るものあらざりき。後藤伯がその得意の地にありながらその旧敵坂本を求めたるは、もとより彼が常人に卓越したる所以にして坂本と相見たる彼は、さらに坂本の勧誘力に動かされて、まず国内を統一和合して、而して薩長の間に均勢を制せざるべからざるの必要を覚りぬ。[中略]薩長二藩の間を連合せしめ土佐を以て之に加わり、三角同盟を作らんとしたるは坂本の策略にして彼は維新史中の魯粛よりも更に多くの事を為さんとしたるもの也。彼の魯粛は情実、行がかり個人的思想を打破して呉蜀の二帝を同盟せしめたるに止まる、坂本に至りては、一方に於て薩長土の間に蟠りたる恩怨を融解せしめて、幕府に対抗する一大勢力を起こさんとすると同時に直ちに幕府の内閣につき、平和無事の間に政権を京都に奉還せしめ、幕府をして諸候を率いて朝廷に朝し、事実において太政大臣たらしめ、名において緒候を平等の臣族たらしめ、もって無血の革命を遂げんと企てぬ。彼、もとより土佐藩の一浪士のみ
陸奥宗光
(平成某年某月某日識)