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功労

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幕末土佐藩

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新海援隊


■活動開始〜解散
慶応四年一月下旬頃〜同年閏四月二七日
■隊長
長岡謙吉
■備考
 坂本龍馬亡きあと、京坂と長崎に分裂状態になっていた海援隊士のうち、京坂に残留していた隊士たちを中心に長岡謙吉が結成した讃岐諸島の治安維持部隊。
 慶応四年の鳥羽伏見戦後、土佐藩へ征討令がくだった讃岐高松藩松平家を説得によって恭順させた長岡は行動をともにしていた海援隊士たち(俗に「新海援隊」と称される)と塩飽諸島の平定をおこない「問民」と称される土民と、「人名」と称される特権民との間に生じていた紛争問題を解決し、ここで海援隊は島からの志願者を集め、航海訓練や軍事訓練を施した。
 ここで海援隊は諸島に善政をしいたようで、長岡は京都の近江屋新助にあてた手紙で「隊中同志大競いて、昼夜無間断文武両道に励み居候、島中の諸民は活き仏さまとて拝み申候」と伝えている。なお同隊は龍馬が在命中の海援隊と本質敵には同じものであるが便宜上、区別されることが多く「新海援隊」として紹介した。

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長岡謙吉
長岡謙吉

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新海援隊々士名簿
長岡謙吉石田英吉宮地彦三郎島村要佐々木多聞
勝間桂三郎桂井隼太島田源八郎波多彦太郎波多恭輔
島橋兼吾得能猪熊橋詰啓太郎武田保輔掘謙司
長岡謙次郎

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(平成某年某月某日識)

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