華族爵位
華族授爵の詔勅
朕惟うに、華族勲冑は国の瞻望なり。宜しく授くるに栄爵を以てし、用て寵光を示すべし。文武諸臣、中興の偉業を翼賛し、国に大労ある者、宜しく均しく優列に陞し用て殊典を昭にすべし。茲に五爵を叙て其有礼を秩す。卿等、益す爾の忠貞を篤くし、爾の子孫をして、世々其美を済さしめよ。
■制度制定〜廃止
明治二年六月一七日〜昭和二十二年五月三日
■備考
「華族」の称は明治二年の版籍奉還以降もちいられるようになったもので、それ以前は公卿・諸候を指し「貴族」と称されることになっていた。明治四年に戸籍法が制定されると華族は士族平民とならぶ国民とされ「四民平等」の枠内におさまり、通婚圏や職業選択の自由も大きく拡大されている。明治十七年になると各華族らに生じた「皇室の藩屏」という意識や国内民権運動の影響をうけ、華族の制度的意義を規定した「華族令」の公布を見るにいたる。この華族令の施行によって、維新の功労者を対象とする「勲功華族」と称される多くの華族が生まれ、元土佐藩出身者の多くも叙爵の栄を忝なくしている。
なお、ここでは主に王政復古の前後から活躍していた人物たちを対象とし、陞爵があった場合もふくめ最終位の爵位のみ表記した。
旧土佐藩 幕末維新関係者 華族爵位一覧 |
公爵 |
侯爵 | 山内豊範 | 佐々木高行 |
伯爵 | 板垣退助 | 後藤象二郎 | 田中光顕 | 土方久元 |
子爵 | 山内豊誠 | 福岡考弟 | 谷干城 | 山地元治 |
清岡公張 | 河野敏鎌 |
男爵 | 山内豊積 | 深尾重考 | 神山郡廉 | 中島信行 |
石田英吉 | 野村維章 | 片岡利和 | 岩村高俊 |
小畑美稲 | 南部甕男 | 尾崎忠治 | 岡内重俊 |
細川潤次郎 |
(平成某年某月某日識)
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