[子供時代の龍馬を評し]龍馬さんはぼんやりだ
某
この顔[龍馬伝の挿絵]は大分似て居ます。頬も、も少し痩せて目は少し角が立って居ました。眉の上には大きな痣があって、その外にも黒子がポツポツあるので写真は綺麗に撮れんのですよ。背にも黒毛が一杯生えて居まして、何時も石鹸で洗うのでした。長州の伊藤助太夫の家内が坂本さんは、ふだんきたない風をして居った顔付も恐ろしい様なんだったが、此間は顔も綺麗に肥え大変立派になって入らっしゃった。きっと死花が咲いたのでしょう、間もなく没くなられたと云いました。これはのちの話です
龍馬は、それはそれは妙な男でした。丸で人さんとは一風違って居たのです。少しでも間違った事はどこまでも本を糺さねば承知せず、明白にあやまりさえすれば直にゆるして呉れまして、此の後は斯く斯くせねばならぬぞと、丁寧に教えて呉れました。衣服なども余り綺麗にすると気嫌が悪いので、自分も垢づいた物ばかり着て居りました。一日縦縞の単物をきて出て、戻りには白飛白の立派なのを着て来ましたから、誰れのと問うたら、己れの単衣を誰か取って行ったから、おれは西郷[隆盛]から此の衣物を貰って来たと云いました
龍馬の酒量は量り兼ねる
龍馬は詩[漢詩]を作らなかったのです
坂本はハキハキしたことが好きで、私がどんなことをしたって決して叱るようなことはなかったのです
龍馬・中岡[慎太郎]が河原町で殺されたと聞き、西郷は怒髪天を衝くの形相凄まじく、後藤[象二郎]を捕えて『おい後藤、貴様が苦情を言わずに土佐屋敷へ入れて置いたら、こむな事にならないのだ……。全体土佐[土佐藩邸の上士]の奴等は薄情でいかん』と怒鳴りつけられて後藤は苦い顔をし『いや、苦情を云った訳ではない。実はそこにその色々……』、『何が色々だ。面白くも無い、如何だ。貴様も片腕を無くして落胆したろう。土佐、薩摩を尋ねてもほかに、あの位の人物は無いわ……。ええ惜しい事をした』と流石の西郷も悔し泣きに泣いたそうです
楢崎龍
薩長合体の基本を開く人
西川吉輔
(平成某年某月某日識)