[龍馬]氏、状貎雄偉、眉間一黒子ある。風采閑雅、音調清朗、一見凡夫に非るを知る
下山尚
直柔、天性快濶。識見高遠。機を視ること敏にして、事を断ずること疾し。しかして事を成すに順を立て、序を追いて、必ず一定の成算あるものにあらざれば、決して手を下すことなし。然れども事を考うるに甚だ綿密ならず。所謂、大綱を定めて細め遺し、大勢を通じて屑末を顧ざるのの嫌あるを免れず。[中略]直柔その性また隘醇、正直、謙遜、誠実の諸徳に至りては殆ど缺く所ありし如きも、寛容にしてよく人を容れ雅懐にして他を罵らず。もし意見を異にするものあるも、まず充分その説く所を聞き『是』ともいはず『非』とも駁せず。『貴意然るか、鄙懐を斯の如し』と諄々として説き、舒々として述ぶるを例とす。又天真欄間なると同時に一度諧謔を洩す時は、憂うるものもその眉を披き、悲しめるものも其胸をはらし、哄然頤を支えて笑わざるはなし。然れども学問は其長ずる所にあらず、四書五経も読みしも、子細に字義章句等を解するをいさぎよしとせず。僅に大意を通ずるを以て足れりとす、甚だしきに至りては、自ら記せる書簡さえ往々意味の通ぜざるものもありしとぞ。和歌は好んでよみしも、師に就き精を労して練習したるものにあらず、風月露華の興に触れ意に応じて、自ら心緒を吐出するに過ぎず
殉難録稿
[龍馬が巡邏隊の真ん中を平然と歩み通るのを高松太郎らと評し]我輩はハシゴしてもしても及ばず
[龍馬・中岡慎太郎の暗殺を伝え]実に天下の人才を同時に両人まで相失い、吾々においても遺恨無窮ござ候
菅野覚兵衛
剣術指南、坂本龍馬
頗る可愛人物也
老中の名前さえ知らぬ田舎漢を遥る遥ると尋ね往きたるは、愚の至りなりし
龍馬誠実可也ノ人物併撃剣家[字義からすれと読みは「あわせて撃剣家」か]、事情迂闊、何も不知とぞ
外両人[川久保為介・甲藤馬太郎]ハ国家の事一切不知。龍馬迚も役人の名前さらに不知。空敷日ヲ費シ遺憾々々
住谷寅之介
龍馬は私に二つ上、象二郎は一つ上だから、私は常に兄仕し其の人物には非常に推服して居った。大政返上の動機は坂本と後藤との発意で長崎で議を決し、後藤が其議を擁して帰国し、容堂公へお勧めしたので全くこの龍と象とが維新の風雲に一転機を与えたのである
坂本は単に志士論客をもって見るべき人物ではない。また頗る経済的手腕に富み、百方金策に従事し、資本を募集して汽船帆船を買い求め、航海術を実地に演習のかたわら他の商人の荷物を運搬し、その賃金によって、ほぼ同志の生活費を産出することが出来た。全く龍馬は才物である
[龍馬制定の海援隊約規を評し]誠に用意周到である。然も文明的である。右[約規]のうち海外に志ある者と言うが如きはもって其の抱負を見るべきである。海外開拓に志し、運輸応援を目的とし、五州の興論を察し、一面には策士、一面は戦士、一面は航海業者貿易業で外人にも信用厚く、盛んに砲銃弾薬の輸入をした
龍馬は久しく薩の西郷[隆盛]・大久保[利通]・長の高杉[晋作]・木戸[孝允]などと常に往来し、そのほか勤王党一般より大に推重された
龍馬の風采は躯幹五尺八寸に達し、デップリと肥って筋肉逞しく、顔色鉄の如く、額広く、始終衣服の裾をダラリと開けて胸を露して居た。[中略]何しろ顔に黒子が多く眼光爛々として人を射、随分恐い顔付きじゃった。平生は極めて無口じゃが国事に関した議論となると滔々たる雄弁を揮い、真に卓励風発の概があった。その部下を御すること頗る厳正で[中略]その威厳はあたかも大諸候の如き観があった。そうかと思うと隊士などを率いて玉川・花月(何れも料理店)」などへ登楼し、平生の無口に似合わず、盛んに流行唄など唄う。[中略]龍馬は顔に似合わぬ、朗々、玉を転ばすような可愛い声で『障子開ければ、紅葉の座敷……』と、例のヨイショ節を能く唄った。よさこい節はその本場だけに却々、旨いもんじゃった。[中略]龍馬は小事に齷齪せず、一切辺幅を飾らず、人との交際は頗る温厚、厭味と云うもの一点もなく、婦人も馴れ、童子と親しむ。相手の話を黙って聴き『否』とも『応』とも何とも言わず、散々人に饒舌らして置いて後に『さて拙者の説は』と諄々と説き出し、縷々数百千言、時々滑稽を交え、自ら呵々として大笑する。誠に天真の愛嬌であった。国を出づる時に父母より訓戒の辞を書して与えられたのを丁寧に、紙に包み上に『守』の一字を書き加え袋に入れて常に懐中したなどは豪宕にして、而も赤子の如く愛すべき所があった
龍馬は隊長の名は無かったが実際、隊長の手腕あり、権力あり、後藤象二郎は総裁ともいうべき位置にあった
[龍馬暗殺の報を聞き]無念痛恨やる方なく落涙を禁じ得なかった。嗚呼、天道は是が非か、龍馬の如き絶代の英傑を其の志業なかばにして亡くすとは、如何にも無情ではないか。ただ慰むべきは大権すでに王室に帰りたるのちであるから龍馬も定めし、地下に瞑目できよう
関義臣
(平成某年某月某日識)