坂本龍馬の事。此者郷士也。先年[文久二年]勤王論を以御国出奔。薩長之間を奔走し、頗ル浪士輩之名望アリト云
浪士之巨魁なる吾藩之者、坂本龍馬・中岡慎太郎
此坂本龍馬なる者ハ、先年御国元出奔し而長州へ行、長藩之浪士輩ト結び、大二人望を得たる者のよし。薩長両藩一時葛藤を生じたる時も頗ル尽力して、其和解を計れりと言。[中略]後藤氏之許可を得而海援隊之長と成れり
寺村左膳
道場へ来て龍馬は心機一変、おねしょも泣き虫も一ぺんに飛んでしもうた。朝はまっ先に夕べは最後まで、飯を食わんでも剣道の稽古一筋。愉快でたまらん、おもしろうてたまらん。そんな気持ちでなんぼでもやる。『坂本もうよかろう』というと『先生もう一本、もう一本』といくらでもうってかかる。[中略]そこで体当たりをやると、体は大きいが若いのでぶっ倒れる。すると跳ね起きてまたかかってくる。襟首をつかんで前に引き倒すと腹這いに延びる。それでもすぐ起きてまたかかってくる。この根性にはすっかり感心した。一度道場内の試合龍馬が勝ち放し。二つも三つも年上のもの[兄弟子]をこの時は祖父も師匠達もびっくり。弟子達もびっくり、龍馬自身もびっくりということだった
土居楠五郎孫
[龍馬の写真に付した賛]報国偉大
[龍馬の肖像画に付した賛]誰知精忠万古傳
東郷平八郎
坂本は白の琉球絣の単衣に鍔細の大小を差し、色の真っ黒い大男で至ってゆったりと物を言う人であった。[中略]最後に先生[横井小楠]は坂本に向かって『乱臣賊士になる勿れ』と言われた。これは先生も坂本が非凡の漢であったために頂門の一針を下されたのであろうと思う
徳富一敬
先生[勝海舟]に度々あって話したものは坂本だけだった。薩長連合案などは先生の説だったろうな
富田鉄之助
(平成某年某月某日識)