鹿児島史跡記(一)
鹿児島史跡 H17.02.20
鹿児島史跡 H17.02.21
鹿児島史跡 H17.02.22
其之一
鹿児島史跡 H17.02.23
鹿児島史跡 H17.02.24
鹿児島史跡 H17.02.25
史跡廻国記
京都史跡記(三)
兵庫史跡記(一)
鹿児島史跡記(一)
2月22日、旅行3日目。午前6時起床。今日は龍馬夫妻が新婚旅行で登った霧島連峰の一つ高千穂峰に向かう。
登山用にというほど大袈裟でもないが身支度をととのえ、午前7時ごろ発の電車に乗るべく鹿児島中央駅へ移動。朝飯と昼飯は予め昨日買っておいた食料をリュックサックにつめておく。
鹿児島中央駅からJR日豊本線へ乗りこみ、国分駅まで電車にゆられる。平日なのだからあたりまえだが、車内には学生の姿もちらほら見える。「鹿児島や山口みたいに歴史のネタに困らない地域の学生って、他県に比べると歴史に対する興味や感心が高い傾向にあったりするのかな?」と漠然とした疑問が浮かぶ。
傾向としての高低はともかく、資料や人材の豊富さからくる間口の広さには正直羨まししさすら抱く。「秋田の場合、地元史への入口を探すだけで一苦労だよ」と思うのだ。
国分駅で電車を降り、駅前コンビニそばからバスに乗車。バスのなかで朝飯を済ませ、山登りの準備をととのえる。一応、朝食抜きで倒れてしまったなんて経験はないが、登山中にそんな目にあったらシャレにもならん。油断は大敵。
霧島神宮の大鳥居をくぐった先にあるバス停で車を降り、登山前に参拝をすませておこうと表参道から本殿へ向かう。途中、龍馬夫妻の新婚旅行記念パネル[右写真]を見かけ「デザインは『お〜い!竜馬』風なのな」とかいったこと思う。すぐそばの展望台からみる景色もなかなか良い感じだ。
左の写真は霧島神宮敷地内に建つ徳富蘇峰の詩碑。手前勝手に読み下すなら「神聖降臨の地、乾坤定位の時、煌々至る霊気、萬古皇基を護らん」とでもいったところだろうか(「護」の文字はむしろ「葭」に見えるが、それだと意味が通りにくいので敢えて「護」と訓んでおく)。我ながら読解力はともなっていない、当てにはならん訓みだとは思う。
そういえば昨日立ち寄った甲南中学校にも徳富蘇峰の撰文碑(三方限出身名士顕彰碑)があったと思うが、全国にはどのくらい徳富蘇峰の撰文碑があるんだろう。いつか徳富蘇峰について調べてみるのも悪くない。興味関心ならある。
詩碑から少し奥へすすむと「君が代」の歌詞にも詠われるさざれ石[下左写真]がある。かたわらの碑には岐阜県人二名と鹿児島県人一名の名が奉納者として記され、勝手に「岐阜といえば鹿児島とは宝暦治水由来の姉妹県だからな」と合点してみる(実際どんな理由で奉納されたのかは知らない)。
さざれ石のまわりには賽銭がアチコチに置かれており、私も5円玉をおいてから霧島神宮の本殿[下右写真]へ移動。ここの祭神は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)で、いわゆる天孫降臨譚の主役としてしられる神さま。皇祖神 天照大神の孫にあたる。
「記紀」における記述のほか、多彩な異伝をのこす天孫降臨譚には天下りの地として「霧島高千穂説(鹿児島)」と「臼杵高千穂説(宮崎)」の二説がある。文化論として興味のわく議題だが、生憎それらを云々できるほど私は国学や民俗学に詳しくない。よって、論争についてはここではふれない。
その後、社務所ちかくの巫女さんを横目にしつつ(和服属性)本殿に参拝。ここでは家内安全・商売繁盛を無難に祈ろうかと思ったが、せっかく神話と関連あさからぬ地に来ているわけだから豊穣神 瓊瓊杵尊にもふさわしく、国の食料自給率改善なんぞ祈ってみる。まぁ深く考えないでほしい。
(平成某年某月某日識)