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鹿児島史跡記(一)

鹿児島史跡 H17.02.20

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鹿児島史跡 H17.02.21

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鹿児島史跡 H17.02.22

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鹿児島史跡 H17.02.23

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鹿児島史跡 H17.02.24

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鹿児島史跡 H17.02.25

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鹿児島史跡 H17.02.22(二)


姶良郡霧島町田口

高千穂河原

 霧島神宮を敷地外に出て東へ数分、案内板にしたがい北に約7kmはなれた高千穂峰のふもと高千穂河原に足を向ける。単純に7km程度の距離ならば徒歩で約1時間半くらい、しかし実際の道のりは平坦とは言い難い坂道ずっとずっと続く。2月の風を感じながら汗かきつつ、もくもくと坂道をのぼる。

 途中、景色をながめたり、「龍馬夫妻も似たような坂道の登ったしたわけだよな」とか考えたりしながら道をすすむ。別段、息がきれるとか、足が疲れるとかいうレベルでもないが結局登る終えるのに要した時間は約1時間と45分。

 汗で衣服冷えてしまわないよう、あらかじめ服のしたにタオルを巻いてきて正解だったと思う。後日、それでも風邪をひくことにはなるのだが。

 高千穂河原[左写真]に到着後、旅行前にプリントアウトし持参した登山届けを高千穂河原ビジターハウスに提出。ゆめゆめ遭難するとも思っちゃいないが、念のため他人への迷惑も考慮し基本にしたがって行動する。あとはただ高千穂峰まで登るきるだけだ。

姶良郡霧島町田口
霧島神社古宮址
■霧島神社古宮址
 もともと高千穂峰にあったという社が、鎌倉時代におきた噴火のため山頂から移転してきた場所がここ。当時は神社を称し文明十六年(1484年)に現在の霧島神宮と霧島東神社の位地へ移転・分社された。
高千穂山道
■高千穂山道
 高千穂の峰にいたる山道、写真その一。ここら辺は道がはっきりしてるぶん登りやすい。
高千穂山道
■高千穂山道
 高千穂の峰にいたる山道、写真その二。ここからは足場やルートに注意しながら登ることをすすめる。龍馬より乙女宛書簡に曰く「山坂焼石ばかり、男子でも登りかねるほど危事なること例えなし」。
高千穂山道
■高千穂山道
 高千穂の峰にいたる山道、見返り写真。同書簡に曰く「焼け土さらさら、少し泣きそうになる。五丁も登れば履物切れる」。私もサラサラの焼け土を登り、すっ転ぶこと5〜6回、手の平と膝の皮がめくれる。ルートはえらんで登りましょう。
高千穂御鉢
■高千穂御鉢
 御鉢と呼ばれる高千穂の寄生火山の火口。煙がモクモクと元気現役活動中。同書簡に曰く「この穴は火山のあとなり。渡り三丁ばかりあり。すり鉢の如く、したを見るに恐ろしきようなり」。
高千穂馬の背
■高千穂馬の背
 やや御鉢ごしに撮影した馬の背と呼ばれる平坦な道。同書簡に曰く「彼の馬の背ごえなり。なるほど左右、目のおよばぬほど下が霞んでおる。あまり危なく手を引き行く」。

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(平成某年某月某日識)

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