鹿児島史跡記(一)
鹿児島史跡 H17.02.20
鹿児島史跡 H17.02.21
鹿児島史跡 H17.02.22
其之三
鹿児島史跡 H17.02.23
鹿児島史跡 H17.02.24
鹿児島史跡 H17.02.25
史跡廻国記
京都史跡記(三)
兵庫史跡記(一)
鹿児島史跡記(一)
高千穂の山頂 高千穂峰は霧島連峰で韓国岳(からくにだけ:1,700m)につぐ標高1,574mをほこる高峰。県域上、鹿児島県にぞくする高千穂河原から、宮崎県にぞくする高千穂峰まで距離は約2.3km。吹出した溶岩がたがいに積みかさなってできる成層(別名コニーデ)型と呼ばれる火山。我が国における代表的な成層山はここ霧島連峰のほか、岩木山(青森)・岩手山(岩手)・鳥海山(秋田・山形)・富士山(山梨・静岡)などがある。「山のかたちが円錐形で裾野が広いタイプ」とでも理解してもらえば良いだろう。
龍馬がお龍さんの手を引き々々進んだという馬の背をこえると頂上まではあともう一息。御鉢までの標高が1,206mなので、峰までの標高差は368m。斜面はまだまだ急ではあるが、これまでサラサラとした地盤に足を取られてきたことを思えば、登りやすさは正に雲泥の差。文字通り「這うように」して登ってきたこれまでとは違い、丸太利用の階段(所々で丸太がめくれ上がったり、外れたりしているのはご愛嬌)を登って無事頂上へ到着する。
斜面で加速がつかなよう、ソロソロと、ゆっくりと下山を開始。登りに比べれば地盤を把握しているぶん、かなりスイスイ下山することができた。しかし、あまり調子にのってると、うっかりスッ転びそうになるので油断は禁物。これ以上、手足の切り傷を悪化させたくはない。
山を下って行く途中、入れ違いに登ってきた先生や生徒とおぼしき一団を発見、挨拶を交わす。団体ともなれば服装や装備に気を使うのは当然だが、ほぼ平服に近い自分と対比して山にのぞむ態度差に「提灯に釣り鐘」の感をだく。正直、遠地の史跡旅行で登山装備をしてくる余裕なんてない、だからこそ困る。
東霧島神社址(古宮址)まで下山しビジターハウスまで移動する途中、目の前を鹿がピョンピョン跳ねて通り過ぎた。さきに霧島神社から高千穂河原まで登ってくる途中にも鹿を何度か目にはしている。今回たまたま鹿が立ち止まってくれたので、一応写真におさめておこう[左写真]。微妙にカメラ目線だし。
高千穂河原から以前に来た道をたどって霧島神宮まで下山。汗で体が冷えないように気をつけて来たつもりだが、それでも風邪をひく前触れのような悪寒を感じる。「症状の軽重までは解らんが、恐らく明日は風邪をひいていることだろう」とか考えたりしているうちに霧島神宮まで戻ってきた。
国分市方面行きのバスが来るまでのあいだあたりをブラブラして時間をつぶす。近くの霧島民芸村で手頃な土産がないかと探したり、霧島神宮周辺をウロウロ散策してみたりする。
ぼちぼちバスもやって来ようかという時分になって霧島神宮の御神木をいまだデジカメにおさめていないことに気がつく。正直、木のまえを素通りするだけで気にもかけちゃいなかった。とりあえずバス停から御神木まで急ぎダッシュ。
「霧島山より下り、霧島の社に参りしがこれは実に大きなる杉の木があり、宮も物振り(大幣のことか?)尊うとがりし」と龍馬が伝える御神木が右の写真。樹齢約八百年という高さ約35mのメアサスギ。八百年まえということは、現在の霧島神宮が移転してくるよりはやく鎌倉時代から生えていたことになる。「文明十六年時点では樹齢二百数十年。当時からの御神木なのかは微妙なところだな」と思った。
その後、バスに乗って国分駅へ戻り、そこから鹿児島中央駅へ帰着。明日は史跡巡りを一旦おやすみにして一日仕事を片付けなきゃならん。
(平成某年某月某日識)