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短歌篇 春くれて〜


和歌を単線上に現代語訳するのは事実上不可能なので「大意」は半ば逐語訳です。
歌の風韻や詩情は原文から各々で構築しなおすことをオススメします。というか、してください。

春くれて 五月まつ間の ほととぎす 初音をしのべ 深山べの里
●大意:春がすぎ皐月の訪れをまつ卯月のあいだのホトトギス。初鳴き隠せ奥山の里で。
●春……旧暦の春は一月・二月・三月。
●くれて……年月・季節・太陽の運行など時間的なものの境や終わりを意味する連用形名詞「暮れ」に、接続助詞「て」のついた形。終わって。
●五月……和歌は釈教歌などをのぞき、基本的には字音を好まない。ゆえに五月はサツキと訓む。卯月と水無月のあいだ。季節のうえでは夏なかば。仲夏。
●ほととぎす……夏に飛来する季節鳥。はやく『万葉集』の時代から歌によまれる古典おなじみの鳥。初音はことのほか尊ばれ、そのさまは和歌や各古典作品にくわしい。
●初音……勅撰集初例の『拾遺集』では春を告げるウグイス年初の鳴き声について使い [1]、つぎの『後拾遺集』よりホトトギスの初鳴きにも使われる[2]。ただし類似する始音(はつこえ)の用例は、『万葉集』の時代からすでにホトトギスにたいしみえる[3]ので、概念的にはかなり古くからのもの。
●しのべ……もともと上二段活用だった「忍ぶ」の命令形「忍びよ」が平安時代以降、四段活用に変化した形。ここでは「隠れよ」の意にとる。
●深山べ……深山の訓みはミヤマ、深い山奥。は辺、あたり。奥深い山のあたり。
●里……村落や集落など人家のあるところ。都(みやこ)を意識して対比させるなら田舎の意にもなる。
●原本:京都国立博物館蔵「坂本龍馬桂小五郎遺墨」/底本:宮地佐一郎編『坂本龍馬全集』
●時期:文久三年四月ごろか
●解説
 歌には春くれて五月まつ間とみえるので、春(一〜三月)の終わった五月待ちの期間、四月の詠作とみてまず間違いあるまい。文久三年四月というと、明確な場所だけでも江戸・福井・大坂・和歌山へ龍馬は足をはこんでおり、深山べの里を重視するなら、城下町など比較的ひらけた場所で詠作し、「奥山の里に隠れていなさい」と出てきたホトトギスに呼びかけたものだろうか。場所の特定には決めてがない。
●鑑賞
 古来よりホトトギスは夏に山から里へくだり、季節もくだると山へ再び帰る者とされていた。初夏四月の鳴き声を、まれに初音と称する例もあるが [4]、一般には「忍び音」と称してこれをとくに区別する [5]。私は以前、歌を三句切れ [6]とみてしのべを、思いはせる「偲べ」の意味に解したこともあるが、今はその不明を恥じる。ではしのべを「忍べ」に解したとして、これを「隠せ」の意とするか、「堪えよ」の意とするかが、つぎは問題になる。前者であれば「山里で隠れて待て」の意味になるし、後者なら「山里で我慢して待て」の意味になる。どちらも「時期を待て」とする趣旨はおなじだが、表現としての趣きがことなり、受ける印象もちがう。「忍び音」・「忍び泣き」・「忍び足」など、構成のおなじい複合語には、「人に知られないように」といった「隠す」的な意味合いがつよく、ここでの脈絡も前者にふれるのが妥当だろう。ホトトギスは花木の陰に隠れ鳴くものとされ、その植物には菖蒲 [7]や橘 [8]、卯の花 [9]などが想定される。当歌は「忍び音」と直接文字にしないでそれを暗示し、「卯月」(四月)と明示しないで時期をしめす手法から、隠れて待つべきのところは、山里での卯ノ花かげあたりを意図するのだろう。表現に露骨さがなく、奥ゆかしく柔らかな印象を私的にはうける。

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  1. mark_utarnhotyu.png 例歌:『拾遺集』藤原公任たれにより松をもひかん鴬のはつねかひなきけふにも有るかな
  2. mark_utarnhotyu.png 例歌:『後拾遺集』藤原定頼郭公おもひもかけぬ春なけばことしぞまたで初音ききつる
  3. mark_utarnhotyu.png 例歌:『万葉集』大伴家持常人毛起都追聞曽霍公鳥此暁尓来喧始音(常人も起きつつ聞くそホトトギスこの暁に来鳴く初声)
  4. mark_utarnhotyu.png 例歌:『続後撰集卯月の朔日比、内より女房ともなひて時鳥ききにとて、西園寺にまかれりけるに、初声聞て読侍ける西園寺実氏郭公たつねにきつる山里のまつにかひある初音をぞきく
  5. mark_utarnhotyu.png 例歌:『続拾遺集四月ばかりに物言ひ初めける人の、五月まて忍ひけるに遣はしける藤原実方忍ひねのほとは過にき郭公なににつけてか今はなかまし
  6. mark_utarnhotyu.png 一首中の内容や意味上の切れ目。歌のなかで場面を一端区切ったり、仕切りなおしたりする場所。
  7. mark_utarnhotyu.png 例歌:『続千載集』京極為子ほととぎすあやめのねにもあらなくに五月をかけてなどまたるらん
  8. mark_utarnhotyu.png 例歌:『後拾遺集』大弐三位またぬ夜もまつ夜もききつ子規花たちはなの匂ふあたりは
  9. mark_utarnhotyu.png 例歌:『新古今集』柿本人麿なくこゑをえやはしのばぬ郭公初卯花のかげにかくれて

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(平成二一年五月一三日識/平成二四年二月五日訂)

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