短歌篇(坂本龍馬)
ゑにしらが〜
面影の〜
かくすれば〜
かぞいろの〜
君が為〜
くれ竹の〜
さよふけて〜
常盤山〜
挽臼の〜
藤の花〜
又あふと〜
丸くとも〜
みじか夜を〜
道おもふ〜
もみぢ葉も〜
山里の〜
ゆく春も〜
和歌を単線上に現代語訳するのは事実上不可能なので「大意」は半ば逐語訳です。
歌の風韻や詩情は原文から各々で構築しなおすことをオススメします。というか、してください。
暮るるかと見れば明けぬる夏の夜をあかずとやなく山郭公と、句・語幹の共通が一句・四語(
やまほととぎすと
山郭公、
夜、
あかず、
啼きと
なく、
あかしと
明けぬ)とおおく、彼我に本歌取り {1}の関係を認めてもいいだろう。忠岑歌は古今集において夏部にはいされる夏の歌だが、龍馬詠は
恋と詞書される「きゑやらぬ〜」に、区切り符号なし {2}でつづき書きされる歌なので、主題はこちらも恋にあるものとみていいはずである {3}。鳥獣の鳴き声から恋が想起されるのは古典詩歌の常道だろうし、古今集における忠岑歌の配列は、紀貫之
夏の夜のふすかとすれば郭公なくひとこゑにあくるしののめのあと、紀秋岑
夏山に恋しき人やいりにけむ声ふりたててなく郭公のまえにあって、恋歌的な解釈にも支えられている。本歌取りによって夏の歌を恋の歌に直接主題換えした龍馬詠は、恋人(恋鳥?)を呼び鳴いているホトトギスの心へ直接語りかけるような、優しく淑やかな歌に変じていて美しい。龍馬作歌の特徴・傾向の一つに"心への接近" {4}をあげたい私としては、当歌はその典型例とおもえる。
○印を頻用することが龍馬詠草二や各種書簡から知れる。
(平成二一年二月二一日識/平成二四年二月六日訂)