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短歌篇 世と共に〜


和歌を単線上に現代語訳するのは事実上不可能なので「大意」は半ば逐語訳です。
歌の風韻や詩情は原文から各々で構築しなおすことをオススメします。というか、してください。

春夜の心ニて
世と共に うつれバ曇る 春の夜を 朧月とも 人は言なれ
●大意:絶えず変転し、見通せたかと思うとまた見えにくくなる心うきたつ春の夜を、「見果てぬ月のようだ」とも周りの人はいうそうだ。
●世と共……和文では「この世あるかぎり」・「命あるかぎり」・「いつも」・「始終」・「つねひごろ」・「ずっと」など、時間の連続や継続性の意味に訳されうる言葉 [1]。同音で「世」に「夜」を掛けるものの、仮名をつかわない撰字は意味の混乱を嫌ったためか。
●うつれバ……動きとしての「移れば」と映像としての「映れば」の掛詞。
●春の夜……夜気が肌にやわらかく、気持ちが華やいでくるような夜。
●朧月……雲や霞によって霧り霞んだ春の夜の月。
●人……世間の人、他人、第三者。
●なれ……聴覚的判断「〜なそうだ」などをしめす助動詞「なり」の已然形。
●原書:京都大学図書館蔵「三月六日付印藤聿宛坂本龍馬書簡」/底本:宮地佐一郎編『坂本龍馬全集』
●詠作時期:慶応三年(1867年)三月六日
●詠作場所:長門国 下関 阿弥陀寺町 自然堂
●解説
 諸情報を十段にわける慶応三年三月六日付印藤聿宛龍馬書簡の追書部分に、今夜もふでをさしおかんとしけるニ哥の意、何共別りかねしがと前置きしてみえる即興的な歌。自身でも歌の意味がわかりかねると韜晦するが、書簡の内容と対比されることで含意をひろうことができる。その第一段は長府藩家老三吉周亮の去就について陸軍・海軍のあいだに不満があるらしい情報を、第二段は印藤聿への消息、第三段は三吉周亮の竹島同行が現状では難しいであろうとの見通し、第四段は蝦夷地開拓への展望、第五段は印藤聿・三吉慎蔵らが開拓計画に参加できうるかどうかの見通し、第六段は大洲船の長崎廻航にあわせ下関から自身も同船できないか思案中である旨の伝達、第七段は竹島までの距離や島の産物など諸情報、第八段は開拓計画への印藤聿らの参加意志の確認、第九段は開拓資金借り入れの相談、第十弾は産物調査にあたり人材確保の依頼などについて書かれる。
●鑑賞
 書簡は竹島(現在の鬱稜島のこと。現在の日本領竹島-韓国名「独島」、近世期の日本名「松島」-とは異なる)の調査・開拓計画を主題とし、あわせて長府藩の人事問題が絡むでいる書簡。この二点を踏まえ歌をよみなおすと、計画の実現見通しをうつれバ曇ると表現し、開拓にむけた華やいだ気持ちを春の夜に、新国を開積年の思ひを見果てぬ朧月になぞらえたものとみえる。書簡内容を前提とする表現には歌物語的所作が感じられて面白い。龍馬には元治元年(1865年)の蝦夷開拓計画の頓挫という苦い経験があるだけに、言わんとする歌の心は「月に叢雲、花に風」(好事、魔多し)ではなかろうか。

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  1. mark_utarnhotyu.png 例文:『源氏物語』(胡蝶)世とともの心にかけて忘れがたきに慰むことなくて(いつも気に掛かり忘れられずに、心が晴れることもなくて)
    例歌:『新古今集』藤原兼輔時雨ふる音はすれどもくれ竹のなどよとともに色もかはらぬ(時雨のふる音はするけれど、ハチクは何故ずっと常緑のままなのだろう-古典文学による知識では時雨が紅葉をもたらすものとされた-)

(平成二一年二月二一日識/平成二四年二月四日訂)

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