短歌篇(坂本龍馬)
ゑにしらが〜
面影の〜
かくすれば〜
かぞいろの〜
君が為〜
くれ竹の〜
さよふけて〜
常盤山〜
挽臼の〜
藤の花〜
文開く〜
又あふと〜
丸くとも〜
道おもふ〜
もみぢ葉も〜
山里の〜
ゆく春も〜
和歌を単線上に現代語訳するのは事実上不可能なので「大意」は半ば逐語訳です。
歌の風韻や詩情は原文から各々で構築しなおすことをオススメします。というか、してください。
日々兼而思付所を精とし、五月一七日付の書簡から兄権平にも
私の存じ付ハ、このせつ兄上にもおゝきに御どふいなされ、それわおもしろい、やれやれと御もふしのつがふニて候あいだと、そのむねを直接相談したことがわかる。歌中の
海の語は、
日々兼而思付いていたという海軍振興を志向する龍馬が、かなり意識的に詠みこんだ文字だろう。
龍馬より姉乙女子へ示せる和歌とされる [1]「坂本龍馬桂小五郎遺墨」中の歌なので、この
君は乙女と考えるのが妥当だろう。龍馬が海(海軍)にたいして一角ならぬ志をだくのは、先述のとおり権平をつうじて家族にも当時すでに周知のはずである [2]。その点をふまえて鑑賞すれば、「私が海へいだくの志よりも、いっそう深い姉上の美しい真心」といった意味にも受けとれうる歌。家族の想いが自身の想いより遥かにふかいものと捉え、衣の袖は手紙をつうじた姉のふかく美しい真心に感じいり、涙にぬれているわけである。歌に凝らされた技巧としては、
ぬれと
海に縁語 [3]関係、結句には
美心という強調的用字が注目される。海がふかいものという認識は慣用句として古くからある一方で、和歌の流れにおいてみると、『新後撰集』源頼朝
逢みてし後はいかこの海よりもふかしや人をおもふ心は以外、私は使った例をとくにしらない。ほかに和歌で
ぬれと縁語の関係を構成しつつ、深さの表現にもなる慣用語といえば、「淵」などが一番に個人的にうかぶが、龍馬ならやはり海の語こそ、ここでは相応しいだろう。
(平成二一年五月一三日識/平成二四年二月二四日訂)