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短歌篇 人心〜


和歌を単線上に現代語訳するのは事実上不可能なので「大意」は半ば逐語訳です。
歌の風韻や詩情は原文から各々で構築しなおすことをオススメします。というか、してください。

人心 けふやきのふと かわる世に 独なげきの ます鏡哉
●大意:人々の志操が今日また昨日と、過去の事として変化する時の勢いに、一人憤りが増していく。澄んだ鏡をみるように、露骨なまで目について。
●人心……ひとごころ。世の人々の考えや気持ち。所謂ジンシン。
●けふやきのふと……今日や昨日と。は並列・並立の助詞。
●世……単純に「世の中」・「世間」の意味でもつうじるのだが、ここでは「時勢」・「時代」の意にうけとっておく。
●独……独り。一人。単独。
●なげき……嘆き。嘆息。ある物事について悲しんだり、憤ったり、がっかりしたりすること。
●ます鏡……真澄鏡。増鏡。良く澄んだ鏡のこと、ここでは「増す」との掛詞としても使っている。
●哉……かな。詠嘆の終助詞。よく「〜であることよ」と訳されたりする。
●原本:京都国立博物館蔵「坂本龍馬桂小五郎遺墨」/底本:宮地佐一郎編『坂本龍馬全集』
●時期:文久三年(1863年)秋頃か
●解説

 「坂本龍馬桂小五郎遺墨」第二歌群最末の歌。「うき事を〜」につづく歌の配列上、同歌の推定詠作時期以降、極端に離れてはいない時期の作とみたい。前歌とのあいだに歌群の区切りをしめすと思われる印が存在するので、夏の明石訪問からやや間をとった秋ごろの作ではないかと推測する。仮にこれを夏ごろの作とみるならなげきの具体的対象は青蓮院宮令旨事件 [1]など、土佐における政変気運に当てることができそうだし、一方の秋ごろとみれば八月一八日の政変で孤立した天誅組の壊滅 [2]あたりに、なげきの対象がうごきそうである。理由は鑑賞に後述するが、歌に推敲不足が観える点から推して、当歌は文久三年秋ごろ書き上げたとされる乙女・春猪宛書簡 [3]にあわせ、即興的ないし即時的につくられたにつくられた歌(歌に彫琢をほどこす余裕のなかった歌)なのではないだろうか。よって時期を、私は秋ごろと推定する。
●鑑賞

 時期を文久三年夏とみるか、秋とみるかで人心なげきの具体的内容が自然と変化する歌。人心があっさりと変転してしまう時勢にたいする憤りや悲しみの歌といえば明解だが、けふやきのふという古歌に用例のみえない表現 [4]や掛詞の「増す」として以外機能性にとぼしいます鏡という語など、なにか特別な意味でもあるのかと逆に疑いなくなってくる工夫に欠けた歌である。ます鏡は澄んだ明鏡によって人や物の姿形をハッキリとうつしだす鏡なので、上述した大意「露骨なまでに目について」のようにイメージを関係づけることはできるのだが、古歌に用例のみえないけふやきのふ、縁語の不使用など [5]、これまでみてきた龍馬の技量水準からすると、彼には似つかわしくない不十分な歌とみえてくる。第二歌群の末尾に位置しつつ前歌の明石詠とは印をもって区切られ、なおかつ他歌に比べて推敲不足が目立つ点に、当歌の特殊性・作詠事情がみえなくもない。

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  1. mark_utarnhotyu.png 間崎哲馬・平井収二郎・弘瀬健太ら土佐勤王党の三士が、青蓮院宮朝彦親王にたいして令旨を強要し、それを後ろ盾に藩政改革を謀ったとして切腹された事件。
  2. mark_utarnhotyu.png 文久三年八月一三日に公表された大和行幸に端をはっし、孝明天皇による攘夷親征を期して大和に一七日挙兵した天誅組は、翌日京都でおきた政変のため逆賊として孤立、翌九月一杯をもって壊滅した。人心がけふきのふと変わった大変象徴的な事件だろう。
  3. mark_utarnhotyu.png 同書簡の先便御こしの御文、御哥など、甚おもしろく拝見仕候という部分から、文久三年当時両者が和歌のやりとりをしていたことが分かり、天誅組については大和国ニてすこしゆくさのよふなる事これありと、その動向について言及がある。
  4. mark_utarnhotyu.png 逆転した「きのふやけふ」・「きのふけふ」なら古歌にもみえるのだが、けふやきのふの例となると管見にない。
    例歌:『為忠家初度百首』藤原俊成七夕は雲の衣をひきかへし昨日や今日はこひしかるへき
    例歌:『古今集』在原業平つゐにゆく道とはかねてきゝしかと昨日今日とはおもはさりしを
  5. mark_utarnhotyu.png たとえばかわる世にを「うつる世に」と語句を単純にかえるだけで、「うつる(映る)」と「鏡」のあいだに縁語の関係が一つ成立する。さらに「鏡」の縁語として定番とされる「影」(「影」は古語で「姿」の意)や「みる」(鏡が姿形を映してみるものなのは言うまでもない)、「くもる」(昔の鏡は銅合金製なので表面を磨いておかないと曇りやすい)や「掛ける」(昔の鏡は鏡台に掛けてつかうのが普通)など、手直し次第で同歌の主題に使えそうな語句はかなり多い。

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(平成二一年二月二一日識/平成二四年二月五日訂)

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