短歌篇(坂本龍馬)
ゑにしらが〜
面影の〜
かくすれば〜
かぞいろの〜
君が為〜
くれ竹の〜
さよふけて〜
常盤山〜
挽臼の〜
人心〜
藤の花〜
又あふと〜
丸くとも〜
道おもふ〜
もみぢ葉も〜
山里の〜
ゆく春も〜
和歌を単線上に現代語訳するのは事実上不可能なので「大意」は半ば逐語訳です。
歌の風韻や詩情は原文から各々で構築しなおすことをオススメします。というか、してください。
やと
とは並列・並立の助詞。
「坂本龍馬桂小五郎遺墨」第二歌群最末の歌。「うき事を〜」につづく歌の配列上、同歌の推定詠作時期以降、極端に離れてはいない時期の作とみたい。前歌とのあいだに歌群の区切りをしめすと思われる○
印が存在するので、夏の明石訪問からやや間をとった秋ごろの作ではないかと推測する。仮にこれを夏ごろの作とみるならなげき
の具体的対象は青蓮院宮令旨事件 [1]など、土佐における政変気運に当てることができそうだし、一方の秋ごろとみれば八月一八日の政変で孤立した天誅組の壊滅 [2]あたりに、なげき
の対象がうごきそうである。理由は鑑賞に後述するが、歌に推敲不足が観える点から推して、当歌は文久三年秋ごろ書き上げたとされる乙女・春猪宛書簡 [3]にあわせ、即興的ないし即時的につくられたにつくられた歌(歌に彫琢をほどこす余裕のなかった歌)なのではないだろうか。よって時期を、私は秋ごろと推定する。
●鑑賞
時期を文久三年夏とみるか、秋とみるかで人心
やなげき
の具体的内容が自然と変化する歌。人心があっさりと変転してしまう時勢にたいする憤りや悲しみの歌といえば明解だが、けふやきのふ
という古歌に用例のみえない表現 [4]や掛詞の「増す」として以外機能性にとぼしいます鏡
という語など、なにか特別な意味でもあるのかと逆に疑いなくなってくる工夫に欠けた歌である。ます鏡
は澄んだ明鏡によって人や物の姿形をハッキリとうつしだす鏡なので、上述した大意「露骨なまでに目について」のようにイメージを関係づけることはできるのだが、古歌に用例のみえないけふやきのふ
、縁語の不使用など [5]、これまでみてきた龍馬の技量水準からすると、彼には似つかわしくない不十分な歌とみえてくる。第二歌群の末尾に位置しつつ前歌の明石詠とは○
印をもって区切られ、なおかつ他歌に比べて推敲不足が目立つ点に、当歌の特殊性・作詠事情がみえなくもない。
けふきのふと変わった大変象徴的な事件だろう。
先便御こしの御文、御哥など、甚おもしろく拝見仕候という部分から、文久三年当時両者が和歌のやりとりをしていたことが分かり、天誅組については
大和国ニてすこしゆくさのよふなる事これありと、その動向について言及がある。
けふやきのふの例となると管見にない。
七夕は雲の衣をひきかへし昨日や今日はこひしかるへき
つゐにゆく道とはかねてきゝしかと昨日今日とはおもはさりしを
かわる世にを「うつる世に」と語句を単純にかえるだけで、「うつる(映る)」と「鏡」のあいだに縁語の関係が一つ成立する。さらに「鏡」の縁語として定番とされる「影」(「影」は古語で「姿」の意)や「みる」(鏡が姿形を映してみるものなのは言うまでもない)、「くもる」(昔の鏡は銅合金製なので表面を磨いておかないと曇りやすい)や「掛ける」(昔の鏡は鏡台に掛けてつかうのが普通)など、手直し次第で同歌の主題に使えそうな語句はかなり多い。
(平成二一年二月二一日識/平成二四年二月五日訂)