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短歌篇 月と日の〜


和歌を単線上に現代語訳するのは事実上不可能なので「大意」は半ば逐語訳です。
歌の風韻や詩情は原文から各々で構築しなおすことをオススメします。というか、してください。

湊川にて
月と日の むかしをしのぶ 湊川 流れて清き 菊の下水
●大意:日月の旌旗と歳月のいにしへが思いやられる湊川。時はうつれど穢れない菊水紋の楠木の旗。
●月と日……年月・歳月・光陰。同時に日月の紋章をあしらった官軍の象徴「錦の御旗」。
●しのぶ……動詞「偲ぶ」の終止形。時間や空間的に隔たったものに思いをはせる・恋い慕う・懐かしむ。
●流れ……液体・気体などの移動をいう「ながれ」と、時間の経過や物事の移り変わりをいう「ながれ」の意をかける。
●清き……形容詞「清し」の連体形。汚れや濁りなどない様。
●菊の下水……『芸文類聚』などにみえる唐土の伝説 [1]をうけて、文学では延命の水とされている。『太平記』以降は楠木氏の紋所としても著名。
湊川……摂津国を流れる名所歌枕 [2]。現在の流路は明治の埋め立てにより往時とは異なる。 [3]
●原本:京都国立博物館蔵「坂本龍馬桂小五郎遺墨」/底本:宮地佐一郎編『坂本龍馬全集』
●時期:文久三年五月二九日ごろか
●解説

錦の御旗(戊辰所用錦旗及軍旗真図より)

 「坂本龍馬桂小五郎遺墨」前掲歌「春くれて〜」が四月詠とみえる都合上、当歌も配列からそれ以降の詠作とみる。勝海舟が湊川にほどちかい神戸村に、海軍所の建設許可をとりつけたのは文久三年四月二三日。併設予定の私塾建設費用立てのため、龍馬は翌月一六日に福井へむけ出立し、下旬には上方へまいもどる。可能性として龍馬も福井行き以前に、地勢見物かたがた神戸村へ足をはこんでいないとも限らないが、史料から確認はできないし、予定の建設地より西をながれる湊川まで出むく理由もなさそうである。ここでは考慮の外におく。五月下旬以降であれば、明石藩舞子台場へ出張のため、龍馬の足取りにも神戸村以西が確認できる。『海舟日記』によると海舟は二九日、和田ヶ崎の砲台・修履所・操練所建設用地へ足をはこんでおり、翌晦日には明石へ出張。龍馬の明石滞在は『明石藩日記』晦日と翌朔日条によって裏もとれる。これから推して当歌は二九日か三〇日に詠作された可能性が高い。五月下旬頃であれば、湊川にゆかりある楠木氏の命日にもちかく、湊川合戦の節目として作歌の動機づけにも良いだろう。
●鑑賞

菊水紋

 まず歌は湊川にてと題で場所を明示して、初句と二句目で月と日のむかしをしのぶとうたいおこす。名所歌枕として中古以来、勅撰集にも名のみえる湊川だが [4]、当時もいまも一般人が同地より真先に思いうかべるのは、正成ら楠木氏が玉砕をとげた『太平記』的世界観だろう。延元元年および建武三年(1336年)五月二五日、合戦のありし往時への懐古から日月の御旗を幻視させ、ふたたび湊川へつなぎなおす手法には、なだらかに物語場面を想起させようとする龍馬の作為があるとみたい。下の句では、湊川から自然に流れての語をつなぎ、初句の月と日をひびかせて、時の流れについていう縁語関係が構築される。結句にかまえた菊の下水は、永久や不老長寿の象徴とされる一方、後醍醐天皇より正成がさずかった紋所としても著名だ。流れて清い菊の下水とは、天皇に至忠の誠をつらぬいて散っていった曇りなき清心(誠心)の楠木氏であり、絵画的な構図としては錦旗日月のかたわらにながれる菊水旗の景を想像させる。朝廷というものハ国よりも父母よりも大事にせんならんというハきまりものなり文久三年六月一六日付書簡)と脱藩した池内蔵太を擁護し、内蔵太の母にあて弁明してみせる龍馬である。当時、勤王の忠臣として理想化された楠木氏にたいして、斯く共感・畏敬するのも自然な成りゆきだろう。龍馬にはめずらしい勤王の志士然とした歌である。

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  1. mark_utarnhotyu.png芸文類聚』薬香草部(上)菊風俗通曰、南陽□[レキ、偏「麗」に旁「邑」]縣、有甘谷、谷水甘美、云其山上大有菊、水從山上流下、得其滋液、谷中有三十餘家、不復穿井、悉飲此水。上寿百二三十、中百餘.下七八十者、名之大夭。菊華輕身益氣故也。司空王暢太尉劉寛太尉袁隗為南陽太守、聞有此事、令□[レキ、前に同じ]縣月送水二十斛、用之飲食、諸公多患風眩、皆得□[チュウ、部首「やまいだれ」のしたに「繆」・「謬」共通の旁り]
  2. mark_utarnhotyu.png 和歌に詠みこまれる特殊な語句のうち名所にかぎったもの。
  3. mark_utarnhotyu.png 参考サイト:湊川流路の変遷
  4. mark_utarnhotyu.png千載集』藤原範兼みなと川うきねの床に聞ゆなりいく田のおくのさを鹿のこゑ

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(平成二一年五月一三日識/平成二二年八月二九日訂)

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