短歌篇(坂本龍馬)
ゑにしらが〜
面影の〜
かくすれば〜
かぞいろの〜
君が為〜
くれ竹の〜
さてもよに〜
さよふけて〜
常盤山〜
挽臼の〜
藤の花〜
又あふと〜
丸くとも〜
道おもふ〜
もみぢ葉も〜
山里の〜
ゆく春も〜
和歌を単線上に現代語訳するのは事実上不可能なので「大意」は半ば逐語訳です。
歌の風韻や詩情は原文から各々で構築しなおすことをオススメします。というか、してください。
きゑやらぬ〜、
みじか夜を〜)が京都や夏の景物をよんでいること、当歌に大井川名物の紅葉がよまれていないこと、遺墨中もう一ヶ所の歌群(龍馬詠草二)が文久三年の詠と推定できることから、当歌も文久三年夏ごろ京都大井川にて詠作したものと推したい衝動にかられる。しかし「詠作時期推考」にも書いたとおり、詠草一と二とでは見たところ用紙の肌合いが違っていて、同時執筆とするに違和感がのこる。一往、慶応元年九月九日付乙女・おやべ宛書簡が
先日文さしあげ候という先日便にたいする意識性で詞書
先日申てあげたかしらんと共通しており、
先日文に相当する九月七日付書簡にも
申上レバかぎりも無事ニて候間、後便ニのこし候という詞書と響きあう記述がみえている。さらに後続の恋題歌と楢崎龍紹介書簡という性格に、歌集の送付を依頼する和歌にたいする関心度の高さを勘案して、二書簡とおなじ慶応元年に詠作時期を比定できないかとも考えてみた。しかし用紙の質感は両書簡にもかよわず、手掛かりからのこじつけ観が我ながらつよい。逆に用紙の質感に着目するなら、文久三年六月二九日付書簡が比較的ちかいようにみえる。こちらなら文久三年夏という龍馬詠草二と同条件で和歌への関心度も申しぶんないし、
先日文にたいする意識性も両者(龍馬・乙女)間の通信状況から問題はなかろう(
先日の文字も書簡中二ヶ所確認できる)。問題は恋題歌との関連性で、書簡中の平井加尾に引きあてて当てられないこともないが、どんなものだろう。如上の自説では決定打に乏しい。
大井川岩波はやく春くれて筏のとこに夏そきにけるなどがあげられる。同所は丹後国から切り出される材木をイカダに組んで流しくだす川として古来より知られる。奔流を激動期の世のうねりに見たれば、詞書
世の中の事をよめるも二重にいきてくる歌になるだろうか。
くだすという他動詞とうねりをさばく筏師に、龍馬自身をダブらせ観るも鑑賞としては一興だ。『新古今集』後鳥羽院
熊野川くだす早瀬のみなれさほさすかみなれぬ浪の通路。
(平成二一年二月二一日識/平成二二年五月二五日訂)