短歌篇(坂本龍馬)
嵐山〜
ゑにしらが〜
面影の〜
かくすれば〜
かぞいろの〜
君が為〜
くれ竹の〜
さよふけて〜
常盤山〜
挽臼の〜
藤の花〜
又あふと〜
丸くとも〜
道おもふ〜
もみぢ葉も〜
山里の〜
ゆく春も〜
和歌を単線上に現代語訳するのは事実上不可能なので「大意」は半ば逐語訳です。
歌の風韻や詩情は原文から各々で構築しなおすことをオススメします。というか、してください。
原書:坂本中岡弔祭会編『坂本中岡両氏遺墨紀念帖』(大石円所蔵)/底本:宮地佐一郎編『坂本龍馬全集』
●時期:慶応元年(1865年)九月ごろか
●解説
脱藩後に龍馬の詠作がはじまったとおぼしい文久三年からのちに [4]、龍馬が嵐山の紅葉に出会えそうな時期を年譜からもとめてみると、文久三年(1863年)・元治元年(1864年)・慶応元年・慶応三年の四ヶ年に、秋(旧暦七月から九月)の上方(京坂神戸)滞在が確認できる。季期は歌の詞書が秋の暮れ
で、紅葉の散りはじめたという歌中の状況から、晩秋の九月ごろに詠まれた歌とみるのが順当だろう。この線でしぼりこむことが許されるなら、慶応三年九月は龍馬が長崎に滞在していたことで詠作時期より除外され、文久三年も京地よりはなれた在江戸 [5]とみられる。元治元年九月は大坂に移った西郷隆盛ら薩摩藩首脳部と、勝海舟塾退去後の身の振り方について交渉していたフシ [6]が見受けられるし、勝海舟日記や楢崎龍の回顧談にも龍馬の上京が九月のこととはみえていない [7]。一方で、慶応元年九月なら同年九月七日付の龍馬書簡によって在京も確認ができ、蓋然性よりこの時分の詠歌かと推測する。
●鑑賞
上句は取りたてて現代語に言いなおす要もないくらい歌意も明瞭な一方、下句には少しばかり説明をつけたす必要があるかも知れない。我が国古典文学において、紅葉(黄葉・褐葉、コウヨウ)を誘発する修辞上・観念上の"染め材"としては、時雨 [8]や露 [9]がまず代表としてあげられ、紅葉の場合にかぎらず物の色を赤に染めかえる材としては涙 [10]が「紅涙」の語もあってとくに著名だろう。歌はここで何がこぼれ
、葉を色変えたのかまで明示していないが、鳴る鐘に
の末尾に
が原因や理由をしめす格助詞の用法と解せるので、夕べ淋しく鳴る鐘
に起因する、ややすずろともいえる涙のために木々も紅葉したのだと文脈から理解したい。ちなみにこぼれそめてし
は、涙があふれて木々の葉色を染め変えた、といういま説明した意味のほかに、後文木々の紅葉
にも作用して、散りはじめた木々の紅葉、との意味も形成する掛詞になっている。ここは涙を紅涙とみたて歌を詠んでいるわけだが、一方で落涙を降雨や露のイメージとかさねて享受することも、秋の世の露をば露と置きながら雁の涙や野辺を染むらん
(『古今集』壬生忠岑)・世にふればいとど歎きの色そへて時雨に似たる我涙かな
(『古今集』壬生忠岑)などの歌々から、許容というよりもむしろ龍馬の作意するところだろう。漫然とも唐突ともとれるこの涙は、鐘の音を契機に発露した秋の悲しみ[11]とも理解できるし、詞書にみえる秋の暮れ
を反映して、暮れ方の鐘によって惹起した暮れゆく秋への愛惜の念 [12]とも取れ得る。さらに慶応元年九月期に書かれた龍馬の書簡群 [13]を参考に、直接彼個人の心情にふみこんで、さびしい鐘の音にもよおした家族・故郷への懐旧の涙とも受けとれる。詞書や文脈にのみに限定して歌を解釈・享受するか、龍馬の個性をおりこんだうえで歌を解釈・享受するか、これ以上の最終的な受けどころは読み手の判断にまかせる。
けりで文で一旦切るより、接続助詞をふくむ
てしで文をつなぐほうが、意味を掛詞とあわせ繋ぎやすように感じられる。
嵐山ふもとの鐘は声さえて有明の月ぞ嶺にかかれる。嵯峨・嵐山周辺には昔も今も寺院が多い。
神な月時雨もいまだふらなくにかねてうつろふ神なひのもり。
白露の色はひとつをいかにして秋の木のはをちぢにそむらん。
紅のふりいでつつなく涙には袂のみこそ色まさりけれ。
物おもはでかかる露やは袖に置く眺めてけりな秋の夕くれ(『新古今集』藤原良経)、
さびしさはその色としもなかりけり槙たつ山の秋の夕暮(『新古今集』寂蓮)など、その例は多い。
あすよりはいとどしくれやふりそはん暮行秋をおしむ袂に(『後拾遺集』藤原範永)・
空もなを秋の別やおしからん涙ににたる夜はのむらさめ(『続古今集』宗尊親王)など、これも数が多い。
坂本龍馬 岩波新書 | 松浦玲 | 岩波書店 |
歌ことば歌枕大辞典 | 久保田淳・馬場あき子 | 角川書店 |
勝海舟全集 別巻 来簡と資料 | 松浦玲(編) | 講談社 |
龍馬の手紙 講談社学術文庫 | 宮地佐一郎 | 講談社 |
古典を読むための文法早わかり辞典 | 国文学編集部 | 学燈社 |
全訳古語例解辞典 | 北原保雄 | 小学館 |
和歌文学辞典 | 有吉保 | 桜楓社 |
歌枕歌ことば辞典 | 片桐洋一 | 笠間書院 |
史料が語る坂本龍馬の妻お龍 | 鈴木かほる | 新人物往来社 |
追跡!坂本龍馬 | 菊地明 | PHP研究所 |
坂本龍馬全集 増補四訂版 | 宮地佐一郎 | 光風社出版 |
新編国歌大観(1) | 新編国歌大観編集委員会(編) | 角川書店 |
坂本龍馬関係文書(1)日本史籍協会叢書 | 日本史籍協会 | 東京大学出版協会 |
坂本中岡両氏遺墨紀念帖 | 坂本中岡弔祭会(編) | 坂本中岡弔祭会 |
(平成二四年年三月二〇日識)