短歌篇 世の人は〜
和歌を単線上に現代語訳するのは事実上不可能なので「大意」は半ば逐語訳です。
歌の風韻や詩情は原文から各々で構築しなおすことをオススメします。というか、してください。
世の人は われをなにとも ゆはばいへ わがなすことは われのみぞしる
●大意:世間は言いたいように言うがいい。己が行動・真意なら私ばかりが知っている。
●世の人……世の中の人。周囲。文脈からやや突き放したようなニュアンスを重視するなら俗世。
●なにとも……状態などの不特定をあらわす「何」に、格助詞「と」と係助詞「も」からなる連語「とも」の接続した形。仮定条件を提示しつつ、それを強調するような表現。
●ゆはばいへ……「ゆは」は「言ふ」の未然形を音便
[1]で表記したもの。「ば」は未然形に付くことで仮定条件をあらわす接続助詞。「いへ」は「言ふ」の命令形。言うなら言え。
●なすこと……「なる」の他動詞連体形「為す」に、体言の「事」。行為、意思活動。
●しる……知る。理解。把握。認識。
●原本:京都国立博物館蔵「坂本龍馬桂小五郎遺墨」/底本:宮地佐一郎編『坂本龍馬全集』
●時期:文久三年三月から四月ごろか
●解説
「坂本龍馬桂小五郎遺墨」第二歌群二番目の歌。季語や地名などなく、詠作時期を割りだす手掛かりにとぼしいものの、歌群の配列により三月から四月ころと想定した。
●鑑賞
龍馬詠のなかではもっとも著名で、つけた大意が蛇足なくらい現代人にもわかりやすい志歌。龍馬が旨とする行動志向とも、他者に理解されないがゆえの独白ともうけとられる。私がおなじ歌群の「
文開く〜」を三月に、「
春くれて〜」を四月に比定する都合上、当歌も月日をその間におく。このころの龍馬は藩から亡命もゆるされ、晴れて航海術修行もみとめられた順風のとき。いっぽう社会では三月に徳川家茂の上洛があり、攘夷にむけた幕府の煮えきらない態度が有志間で問題になっている時分。政情は攘夷強硬派優勢のまま、どちらに転ぶか混沌としている。当時の龍馬は
勝憐太郎殿という人にでしになり、日々兼而思付所
(
文久三年三月二〇日付書簡)をもっぱらとする一方、意志も
年四十歳になるころまでは、うちにはかへらんよふにいたし申つもりにて
とかたく、中央政局に距離をおいた
日々兼而思付所
、我が道にむかう龍馬決心の歌とみたい。
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- 発音上の便宜や都合により、語中・語尾の音が他の音に変化すること。「書きて」が「書いて」になったり、「思ひて」が「思うて」になったりする類い。
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(平成二一年五月一三日識/平成二四年二月四日訂)
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