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九番目の血盟〜結成!土佐勤王党〜


 土佐に勤王党が結成されたのは文久元年八月である。

 武市半平太は先の時勢探索から帰国してのち、義理の甥小笠原保馬をつれ文久元年四月に江戸へ向かった。江戸で水戸藩の岩間金平・住谷寅之介、長州藩の久坂玄瑞・佐々木男矢・桂小五郎・高杉晋作、薩摩の樺山三円らと相知った武市は、勤王運動における土佐藩の立ち遅れを自覚する。

 彼ら薩長土三藩はそれぞれ同志を結集し、自藩の藩論をまとめ、その勢力によって朝廷の権威を強化し、幕府と対抗すべき道を模索し始める。そこで武市は当時、在府中だった土佐藩の人々と語らい「土佐勤王党」を結成した。まず武市半平太を筆頭に大石弥太郎・島村衛吉・岡田以蔵・池内蔵太・柳井健次・河野万寿弥・小笠原保馬らが署名に加わり、九月三日には在郷中の同志を糾合するため、武市は血盟書を携えて島村と柳井、河野の三名を従え土佐へ下った。余談だが以蔵は、武市と大石が連判状を前に密談を交わしているところへ顔を出し、その人物を知りながらやむなく盟に加えたのだという。事の正否は解らないが、のちに以蔵自らが落ち入る境遇を暗に示唆する感がなくもない。

 なお下は大石弥太郎が起草を、武市半平太が清書を行ったという土佐勤王党の盟約文だ。盟約の趣旨は、いまだ「討幕」には至らず、老公山内容堂を全面に押し出した「君臣の義」と「尊王攘夷」がうたわれる。

●土佐勤王党盟約文
堂々たる神州戎狄の辱しめをうけ、古より伝はれる大和魂も、今は既に絶えなんと 帝は深く歎き玉う、しかれども久しく治れる 御代の、因循委惰という俗に習いて独りも此心を振い挙て、
皇国の禍を攘う人なし、かしこくも我が 老公、夙に此事を憂い玉いて、有司の人々に言い争い玉えども、却てその為めに罪を得玉いぬ、斯く有難き御心におはしますを、など此罪には落入玉いぬる、君辱かしめを受る時は臣死すと、況てや
皇国の今にも衽を左にせんを他にや見ゆるべき、彼の大和魂を奮い起し、異姓兄弟の結びをなし、一黠の私意を挟まず、相謀りて国家興復の万一に裨補せんとす、錦旗若し一たび揚らば、団結して水火をも踏むと、爰に神明に誓い、上は
帝の大御心をやすめ奉り、我が 老公の御志を継ぎ、下は万民の患をも払はんとす、左れば此中に私もて、何に
かくに争うものあらば、神の怒り罪し給うをもまたて、人々寄つどいて腹かき切らせんと、おのれおのれが名を書きしるし、おさめ置ぬ。

 同月二五日、土佐へ帰着した一行は、まず平井善之丞・小南五郎右衛門の上士尊王派二名をたずね、互いに協力を約束し、島村寿太郎・島村寿之助・島村外内・多田哲馬・上田楠次の五名を武市家に集め、土佐七郡における同志勧誘を依頼する。この勧誘運動は足掛け三年にもおよび、名簿に残るだけでも百九十二名が名をつらねる。

 龍馬は『維新土佐勤王史』によると「彼の昨年、瑞山の九州行を武者修行云々と冷笑せし坂本龍馬も慙服しつつ来りて瑞山の節度を受」けたのだという。「坂本龍馬直陰」は血盟書の「九番目」に位置し、在郷同志らの中では四番と五番目に位置する間崎哲馬と門田為之助を除けば最も早いことになる。しかし「慙服しつつ」[恥じ入るの意]と伝わるわりにイの一番で盟に加わっているところが面白い。

 武市が真っ先に信頼する親友であり遠戚の龍馬をたずね、龍馬も先の非礼を詫び、盟に加わる姿がしのばれる。

 間崎と門田の名が江戸署名者の中間に位置するのも面妖だが、これはのちに山内容堂へ名簿を提出するさい、脱藩中だった池内蔵太と岡田以蔵の名を隠し、その上に貼り付けたものらしい。そのため龍馬を土佐で「最初の血盟者」と断定は出来ないが、トップグループであることは間違い無く、武市が龍馬にかける期待のほどを知ることが出来そうだ(なお土佐勤王党血盟者については【幕末土佐】を参照の事)。

(平成某年某月某日識)

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