京都史跡記(一)
京都史跡 H14.11.01
京都史跡 H14.11.02
京都史跡 H14.11.03
其之九
京都史跡 H14.11.04
史跡廻国記
京都史跡記(一)
京都史跡記(三)
兵庫史跡記(一)
円山公園から北へのびる神宮道を少しばかり上って行くと、右手(東)側には雄大との言葉がふさわしい知恩院の国宝三門[下写真左]がみえてくる。普通なら「山門」と書くところを敢えて「三門」と書すところには空・無相・無願の三法に由来するらしい。
幕末期の例としては同院も薩摩藩や尾州藩など諸大名の宿舎にあてらてた寺院で、土佐藩との絡みでは後藤象二郎が警衛についたパークスの宿泊地としての印象が当方にはつよい。
聞くところによると、件の三門では先日(一〇月一六日)ハリウッド映画「THE LAST SAMURAI」のロケーションが行なわれたそうなのだが、当方にとっては別段興味がある話題でもないので、この時は想起すらしなかった。とりあえず明治が舞台の映画らしい。
と、ドーでも良いことを書いたが先にすすむ。
知恩院の三門からさらに北へ北上をつづけてゆくと、同じ右手側にはやがて青蓮院[右上写真]がみえてくる。幕末で青蓮院といえば獅子王院宮・中川宮・尹宮・久邇宮など多くの院号で知られる朝彦親王が有名だろう。
青蓮院は代々法親王が門跡を継ぐ宮門跡で、安政年間には親王を中心に反幕府的な密議が催された土地である。とりあえず、土佐尊王派の視点から親王を観ると好印象を抱くことは少ないかも知れないが、平井収二郎や間崎哲馬など土佐藩士との接点も多い人物である。
依然しばらく神宮道を上って行くと、つぎに視界へは大きな鳥居が入ってくる。これは平安神宮の大鳥居なのだが、あまりにも規模が仰々しすぎることに当方は些か面を喰らい、デジカメにおさめることを忘れてしまった。
同神宮は平安遷都千百年を記念し、明治二八年に設けられたという経緯からして「あくまで記念碑的な色彩がつよいわな」との感慨を当方も抱かざるをえないが、同神宮には幕末期の天皇の一人である考明天皇も祭神として祀られているため、幕末とまったく無関係というわけでもない。
とりあえず、大鳥居の前で神宮通と仁王門通が交差する十字路を当方は東へと折れ、琵琶湖疏水をはさむ対岸に目をうつしながら南禅寺への道を急ぐ。
その途中、山県狂介みずからが明治二七年に庭園を設計した(完成は同二九年)という別荘地無鄰菴の入口[左写真]をデジカメにおさめ(結局入園はしなかったヤツ)、ようやく南禅寺ちかくの交差点・南禅寺橋まで来ることができた。
もっとも、ここから南禅寺まではまだ若干の距離があり、また交差点が入り組んでいることもあって「ひょっとして南禅寺へつづく道を間違えているのではないか」と心配になる。そのため数分のあいだ、案内板を探してあたりを彷徨うことになった。右も左もわからぬ田舎もんです。
(平成某年某月某日識)