京都史跡記(一)
京都史跡 H14.11.01
京都史跡 H14.11.02
京都史跡 H14.11.03
其之一一
京都史跡 H14.11.04
史跡廻国記
京都史跡記(一)
京都史跡記(三)
兵庫史跡記(一)
とりあえず、知恩寺まで到達することによって、本日三日目に目的としていた史跡巡りの予定地をすべてまわり終えることができた。ぼちぼち日も傾きはじめて来たことなので、連れと合流する京都駅へむけブラブラと南下を始めることにする。
東大路通が近衛通に掛かるあたりでバスへ乗車してはみたが、この時間帯の京都は文字どおり交通渋滞の観があり、信号を超えるだけでもかなりの時間を要してしまう。こうなってくると「まだ歩いた方が速いわな」という判断に落ちつくのも当然で、東山二条にてバスを下車し以前、東大路通を南下してすすむことにする。
東山二条から八坂神社の西楼門前[右写真]俗にいう「祇園石段下」まで来たところで、とりあえず同所をデジカメにおさめておく。
同所は新選組の谷三十郎が死亡した地として紹介されることも多いが、件の人物には病死説(こちらの方が寧ろ有力)もあったりする。
その後、東大路通から四条通へ道をうつし引き続いて西へと通りをすすむ。やがて寺町通に掛かったところで道を若干北へとてんじ、錦市場へ足をはこぶ。
昼過ぎに磯辺餅を一本食した以外なにも口にしていない当方は、ここ錦市場で大判焼き三個(計¥120)と廣末焼き三個(計¥150)を購入し、遅すぎる昼飯代わりとした。
「何となく買ってはみたが焼き加減が絶妙で何気にウマー」という感想を両焼き菓子に対し抱きつつ、渋滞でちっともすすまぬバスを尻目に烏丸通を南下して京都駅まで到着した。
駅に到着して数十分後、連れとの合流をはたしたのち秋田の実家へ御土産として送る品物(京菓子や漬け物など)をThe CUBEおよび伊勢丹にて購入。御守や湯呑み・ハンカチとあわせ、宅急便にて実家へと送った。
この後は地下鉄を利用して河原町付近のホテルへと移動し、荷物を部屋に置いたあと二人して祇園方面へと繰り出す。連れと「何だか修学旅行みたいだね」という雰囲気を楽しみながら、グルリと夜の祇園を見てまわりホテルで食べるツマミ(といっても和菓子)とお茶を購入して部屋へともどった。明日はいよいよ京都旅行の最終日である。
(平成某年某月某日識)